おはようございます。
朝6時半出発。最初の取材は阿寒。特別感のある森の撮影。こんな場所があったとは。2時間ほど歩き、久しぶりに撮影を堪能する。午後は釧路市内。スロウ的な取材&撮影だが、媒体はkeran keranだ。4時半頃、いったん宿へ。5時半からこの日最後の取材。曇っていたが、途中から夕景っぽくなってきた。料理とともに撮影。その後、霧に包まれていった。釧路的な情景を写真に収めることができた(たぶん)。7時半、宿に戻ってノートPCを開く。2年前からずっとできなかったことができるようになっていた。おかげで出張時の不便が解消された。
特別感と地元感
昨日のキーワードは特別感と地元感かな……。3件の取材のうち2件は特別感を感じるものでした。もうひとつの取材からは地元感を感じたわけですが、それは地域外の人にとっては特別感につながるものに違いありません。地元の日常は旅行者にとって非日常となり得る。あるいは、地元の日常が旅行者の「上質な日常」となる可能性もあるでしょう。
僕は風景写真を撮る際、絶景を求めているわけではありません。絶景が目の前にあればもちろん撮影しますが、ふだん求めているのは「見慣れていて気になっている被写体」。ですから、木の枝とか畑とか日高山脈といったものは、いつも気になっていて撮影したくなるものです。
旅行者の立場になってみると、僕らの見慣れているものは非日常である可能性があります。特に海外からの旅行者は、僕らが当たり前に感じているものに強い興味を持ったりする。たとえば、雪景色を見ただけで盛り上がる……といった具合。これは僕らが海外旅行へ行ったときに体験することでもあります。
こうした感覚のギャップのようなところに、観光資源がほぼ無尽蔵といってよいほどあるに違いありません。ただ、それを商品化するには工夫と努力が必要でしょうね。場所によってはゴロゴロころがっているわけですから、旅行者はそこにわざわざお金を支払う必要がないのです。
旅行者が気になる風景、文化、習慣に触れたとき、どのような気持ちになるのか? たぶん、「もっとちゃんと知りたい」という欲求が湧き起こってくるのではないかと思います。知的好奇心が刺激されるのです。
たいていの旅行ガイドブックには表面的なことがさらりと書かれているだけ。中には歴史的背景が描かれていたり、思想・哲学に触れられていたりするかもしれません。けれども、ガイドブックには広範囲な情報を伝えるという役割がありますから、ひとつのテーマを深掘りするにも限界というものがある。そこに、旅行者はちょっとした物足りなさを感じているはず。僕も海外旅行へ行くと、「どうしてこんなふうになっているのだろう?」という謎に出合います。誰か詳しく教えてほしいと思うことがある。
そんなわけで、地域には地元のことを熟知した人が不可欠ではないかと思います。観光関連の集まりに参加すると「ガイドの養成が必要」といった話になることがあります。地域の誰もが、ある程度の地域情報を気軽に伝えられるようになることが必要。そして、深くて詳しい情報をしっかり伝えられる人の存在が欠かせません。昨日の取材ではプロのガイドがいると、地域の価値は何倍にも高まるということを再認識しました。
ものの見方、考え方を変えるももの
日常と非日常。そんなふうに区別して考えてしまうことが多いのですが、そのような色分けは無意味なのかもしれません。そこに住んで生活を営んでいる人にっては、自分の住む場所が日常。旅行者が勝手に非日常だと思い込んでいるだけであるわけです。
僕はたまに釧路にやってくると、釧路市内の中に非日常を感じることがあります。釧路と帯広とでは文化的な違いがいくつもありますから、そのギャップにちょっとした非日常を感じてしまう。札幌や旭川にはあまり感じていないのに、釧路ではしょっちゅう感じる。港町だからという理由もあるのかもしれません。
釧路人にとっての日常は、帯広人にとって「非日常」というほどではないものの、少し異質な日常ということになります。ふだんなじみのある日常の少し外側にあるもの。釧路の町を歩くと、自分の持つ日常感覚の領域が拡大していくような気持ちになっていく。北海道内を旅する楽しさは、そのあたりにあるのではないかと僕は考えています。
これは言い方を変えると「上質な日常」ともいえるのです。「上質な」と書くと、高級レストランでディナー……みたいな情景を思い浮かべるかもしれませんが、そういうことではないのです。高級と上質とはちょっと異なる。日常の質を高めるのにさほど経費がかかるわけではありません。
自分のものの見方、考え方を変える。それだけで日常が上質なものとなっていくはずです。ただし、自由自在にものの見方や考え方を変えることのできる人は少数派でしょう。ですから、ちょっと旅に出るとか、研修を受講するとか、異業種交流するといった行動の仕方が必要になってくる。
自分とは違った知識や考え方を持っている人と出会うだけでも、日常は上質なものとなる可能性が高いといってよいのではないでしょうか? そう考えると、取材という仕事は実に素晴らしく、日常を上質なものに変えるチャンスが無数にある。そうなるかどうかは、自分の人生態度にあると言ってよいでしょうね。
我が社が今年開始した旅行事業は、出版事業の延長線上にあるものといえます。雑誌媒体で地域の魅力を伝えることをずっと行ってきましたが、魅力や価値の発信はもっと別な事業でもできるのではないか? そんなところから、旅行へとつなげていったわけです。今はまだ手探りのような状態なので、スタッフ間で認識のズレが多少はあるかもしれません。旅行とはどういうことなのか? そんな本質的な議論がもっと必要なのでしょう。釧路は十勝の隣にあるのに、ヒントが数多く隠されているような気がします。