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広報と広告23 ダジャレの本質

広報と広告23 ダジャレの本質

おはようございます。
 朝礼後、日本自費出版文化賞の一次審査を行う。届いた作品はすでに何度か手に取って読んでいたが、ようやくすべての作品に目を通すことができた。10時頃帰宅。事務的作業等。午後1時、スロウ編集会議。新入社員研修の準備。過去のデータの蓄積があって、比較的短時間でまとめることができた。夕方買物へ。少し涼しくなっていた。2日連続の猛暑日だった。今日は幸いにして最高気温22度という予報。

情報受信者の感性

みんな体調は大丈夫でしょうか? 昨日は急遽、営業部のM氏に頼んで水出しコーヒー用の豆を購入してもらいました。昨日の昼から抽出しているので、あと2時間ほどで15杯分のアイスコーヒーができることでしょう。今日は涼しいので、それほどニーズはないかもしれませんが、今年最初の水出しコーヒーを味わってほしいと思います。
 すでに脳みそが沸騰しかかっていた人がいたようで、夕方、買物中に「いいタイトルはないか?」と電話がかかってきました。それから約2時間、考えました。自分の原稿ではないため、どんな記事なのかわからない。ただ、よく知っている店ですから、できそうな気もする。夜、眠る少し前に考えがまとまった。メッセージを送りましたが、採用される可能性は低いかな?
 僕の考えるコピーやタイトルには、僕のオリジナリティが効き過ぎています。かなり自分流に強引に言葉をまとめている。英語で言えば、「Going my way」なのです。
 電話してきた某編集者は日頃からひねりのきいたアイデアを形にしている人物。おそらく、僕ならどうするのか、ダジャレの技術レベルに興味があったのだと思います。
 洒落、ダジャレ、オヤジギャグ。言葉遊びという点ではどれも同じですが、その価値を認めているかどうかという違いがある。言葉を深いレベルで捉えていない若者の一部は、ハイレベルなダジャレであっても「オヤジギャグ」で片付けてしまう。10年から20年、人生経験を積み重ねるまで待つほかありません。
 若手の中でもダジャレを理解する人たちがいます。僕の勝手な推測ですが、Y世代の一部とZ世代。このあたりの人たちは、言葉の捉え方がちょっと違っているな、と感じることがあります。消費行動でいえば「ブランドではなく本質に価値基準を置く」という特徴があって、この点ではスロウの読者にもなり得る価値観を有しているといってよさそう。したがって、レベルの低いダジャレに反応することはありませんが、本質を捉えた言葉にはしっかり価値を感じ取る能力を持っています。もしかすると、どの世代よりも感性豊かといってよいかもしれません。
 多くの人はダジャレについて誤解しているところがあります。「同じ、あるいは非常に似通った音を持つ言葉をかけて遊ぶ一種の言葉遊び」とされていますが、それだけではハイレベルなダジャレにはならない。今の時代、「布団が吹っ飛んだ」というレベルでは困るわけです。僕も、みんなの反応の具合を確かめる目的で、ローレベルなダジャレを繰り出すこともありますが、これは学術的な目的があってのこと。言いたくて言っているわけではありません。

言葉の相似形

僕のモットーは「ダジャレはレジャーだ」というものです。レジャーとは「自由時間」という意味。ダジャレは不自由な自分、貧困な発想を解き放ってくれるもの。形を繕うことばかりに四苦八苦して、自由になりきれていない自分を感じている人が多いのではないかと思います。言葉の力で、自分の中にある不自由さ、窮屈さを解消する。そんな崇高な目的もある。その目的に対して、大真面目に取り組んでいくと、不思議なことに「くだらない」の一歩手前のダジャレが誕生することになる。情報受信者は、その「くだらない」の背景に隠されている主題や真意を感じ取る。発信者、受信者の感性が一致することで、ダジャレが成立することとなる。そして、そこに奥深い感動があるわけです(たぶん)。
 「面倒でなく、これが麺道」「本気でザンギ談義」「画期的な牡蠣」……。こうした記事のタイトルは、すべて真剣な取材活動と本質をインパクトある言葉で表現したいという真摯な姿勢から生み出されたもの。
 こうしたスタイルで最初に書くことになった記念碑的な記事があります。そのときのタイトルは、「すも~くおいしい燻製生活」(スロウ第8号、2006年)。この言葉にたどり着くまで、ものすごく苦労しました。2日か3日かかったのです。タイトルを生み出すだけで。もちろん、他の仕事を放棄したというわけではありません。しかし、どんな仕事をしていても始終考え続けていた。僕はプロのコピーライターではなく、文章についても門外漢ですから、ここにたどり着くには並々ならぬ努力をしているわけです。
 写真を撮るとき、一番興味を持って観察しているのが「相似形」です。主題と背景との間に相似形を感じることもありますし、現在と過去との相似形に気づくこともある。
 ダジャレも、僕の捉え方では相似形の一種といえます。言葉と言葉の相似形。ですが、話はそう単純ではありません。言葉には神が宿っているようなことがありますから、短い言葉の中に対象物の本質が示されていることがある。さらに、ダジャレにすることに意味が増幅されるわけですね。
 人の心に一生突き刺さるような核心を突いたダジャレを生み出したい。そう考えて原稿を書いています(いつもというわけではありません)。真面目に書くと平凡な結論にたどり着く。超真面目に書けば、本質にたどり着くだけではなく、ダジャレという副産物が誕生する。僕の場合、ここに文章の醍醐味を感じているのです。このところ、時間に追われがちな日々を送っていて、心を亡くしている(忙)ところがあるようです。「アイデアは愛である」という言葉を思い出して、懸命に生きていかねばなりません。

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