
おはようございます。
朝8時出発。10時20分、上川町着。取材ではなく、ある施設の見学。魅力的な場所。ひと通り説明を受けると、だんだんイメージが湧いてきた。次の目的地は滝上町。午後1時半頃、陽殖園へ。園内を2時間半ほど撮影。そろそろ帰ろうかと思ったら、高橋武一さんが園内をガイドしてくれた。さらに1時間半撮影。4時間歩いたことになる。7時、ホテル渓谷で武一さん、そしてこの日来園した方々と夕食。偶然にも、6月6日が創立記念日なのだという。
日本一変わった植物園のできるまで
陽殖園に訪れるのは何回目になるのでしょうか? 久しぶりに園内を歩いてみると、前回とは違った印象を受けるような場所がありました。進化し続ける植物園といえます。
もっとも、春から秋の開園期間を通じて、咲いている花々は絶えず入れ替わる。1週間後に訪れると別な風景になっている……というのですから、驚きです。仮に週1回ずつ陽殖園を撮影したなら、どんな写真が撮れるのだろう? 滝上に住んでいたら、そういう写真ライフが満喫できるかもしれません。それにしても、秋、10月に咲く花とはどのようなものなのか? 気になります。
同じ花でも開花し、満開になり、散っていく時期が少しずつずれている。これは意図してそのように変えていったとのことです。長年の研究と試行錯誤の結果、そのようになった。だから、冬期以外、いつ訪問しても必ず見頃の花が咲いている。来園者の期待を裏切らない植物園。しかも、写真家のことを考えてくれているのかどうかはわかりませんが、思わず撮影したくなるような通路の作り方、高低差、花の配置となっている。このあたり、実に不思議な感じがします。
おもしろいと思うのは、こうした「日本一変わった植物園」(陽殖園のキャッチフレーズ)が今の姿になるまでに、目標のようなものは存在しなかったということ。これだけの規模の植物園ですから、常識的に考えれば、コンセプトを決め、緻密に設計し、期日を決めて着実に造園していくものではなかろうか?
武一さんの場合はそうした理詰めの植物園ではなく、自らの感性のおもむくまま、ひらめきと試行錯誤の積み重ねによって、今のような姿に変えていった。これは常識的には考えられないことでしょう。天才というほかありません。
ただ、ビジョン、目標に代わるものとして、「方向性」という言葉が武一さんの口から出てきました。前回に訪問したときにも聴きました。この言葉に武一さんの非凡な人生が集約されているのではないか? そして、企業経営者も人生の経営者も、この言葉の意図するところを知っておくべきではないか? 昨日はそんな思いを強くしました。
こんな植物園をつくりたい……。僕らの場合は「こんな会社をつくりたい」。そうしたイメージを持つことはさほど難しいことではありません。ですから、自社の経営理念も経営ビジョンもそれを言葉で表したり、ビジュアルで表現することは、深く考えれば誰にでも可能であるはずです。
ところが、いざ実践という段階に入ると、経営理念は絵に描いた餅となり、経営ビジョンは永遠に到達できないお題目となってしまうことがあります。理念行動を心がけ、ビジョンに向かって全社一丸態勢で……と思っても、目の前に立ちはだかる問題にひるんでしまい、一歩前に進むことができないということが起こるのです。
方向性と経営指針
武一さんの場合は、ややこしい言葉ではなく「方向性」という単純な言葉で着実に理想の植物園を築き上げてきました。園内は適度に起伏に富んだ地形になっていて、歩きやすく、花を観賞するのに最適な高低差になっている。しかし、これはもともとの地形ではなく、すべて武一さんがひとりで造り上げたもの。しかも、一輪車で土を運んだというのですから、驚くほかありません。最初の頃は「狂人扱いされた」といいますから、本当に鬼気迫るような作業だったのでしょう。
人が居酒屋で一杯飲んでいるようなときにも、遊びに行っているときにも、ただひたすら土を運び続けた。その結果が、今の陽殖園といえます。これは単に目標設定し、PDCAを回していくという活動では到底不可能ではないかと思ってしまいます。常識人のままではほぼ確実に挫折するであろうレベル。
常識を超越した活動。僕はまだちゃんと理解しているとは言い難いのですが、たぶんそれが「方向性」なのでしょう。昨日と今日、今日と明日、その間にはほとんど違いないように感じられるかもしれない。けれども、ある方向へ向かって着実に活動している自分がいる。それが方向性の真意だと僕は理解しています。
果てしなく大変な仕事だから「無理だ」と思ってしまう。これが常識にとらわれた人。できそうとか無理そうといったことを考えるのではなく、ひたすらある方向へ向かって自分の仕事を伸ばしていく。
これはもしかすると、武一さんが植物を観察しながら気づいたことなのかもしれません。植物の場合は自分の意思で居場所を変えることはできない。その場所で精一杯生きていくしかない。光を求めて、明るい方向へ自分を伸ばしていくわけです。できそうとか、無理そうなどと考えているはずはありません。
こうした純粋な活動、方向性によってのみ自分のすべきことを決めているわけですから、自ずと常識人とは異なった仕事の仕方となっていく。僕のように常識にとらわれていると、無駄な活動と無意味な活動がどうしても一日の中に混じり込んでしまいます。混じりけのない活動を何10年も続けてきた人には到底敵いません。
ただ、人生は有限ですが、企業はやり方によっては無限に存続します。ですから、無意味な活動が混じり込む常識人的な人々の集まりではあっても、企業として方向性が定まっているのであれば、数10年後には非凡な会社、ユニークな会社に変えていくことが可能であるはず。そのような「方向性」を明確にした経営指針を成文化することが経営者の使命ではないかと思います。