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第1話 写真鑑賞力の必要性

第1話 写真鑑賞力の必要性

「untitled」( 1999年、Gallery・DOT) (c) Atsushi Takahara 

おはようございます。
 昨日は新しい本づくりに取り組んでいました。ページの構成はほぼ決まり。あとは書き上げた原稿と整えていくことと、イラストの社内発注、そして写真を選び出す作業。一番楽しい仕事。きっと3月はエキサイティングな月になるでしょう。
 そんな中、また新シリーズを開始することにしました。ずっと以前から書いてみたかったテーマ。ただ、著作権の関係があるので、文面に関係する作品を掲載することができないかもしれません。どこが著作権を保有しているか、調べてみなければなりません。手探り状態でスタートすることになりそうです。
 新シリーズのタイトルは、「写真を見る愉しみ」。実は2015年3月、このテーマで講座を開いたことがあったのです(はこだて自由学校)。1時間半ほど話しながら、僕は想定以上に手応えを感じていました。それまでは半信半疑だったのです。自分の写真の見方、鑑賞の仕方を他人に伝えても、わかってもらえないのではないか……。そんな気持ちが心のどこかにありました。
 僕は函館での講座を通じて、「写真鑑賞力について広く伝える必要がある」と考えるようになりました。

被写体至上主義から自由になる

そもそも、僕は学校で「写真の見方」について教わったという記憶がありません。歴史の授業の中で「プロパガンダ写真」(特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った写真)の危険性について教わったくらいでしょうか。
 写真を鑑賞するという授業はありませんでしたし、そもそも写真の作品性、創作性について関心を持つ人は周囲にほとんどいなかったと思います。写真は言葉の補足説明として必要なもの……という認識だったのではないでしょうか? 僕は高校では写真部に所属していましたが、趣味の延長線上だと思われていたことでしょう。美術=芸術、写真=趣味。そんな感じでしたね。この状況は今もさほど変わっていないような気がします。
 しかし、どうなんでしょう? 写真を取り巻く環境は、ここ30年くらいの間に激変しました。ネット上には写真があふれている。「インスタ映え」という奇妙な社会現象も起こっています。
 僕は今の学校教育がどんなふうになっているのか、とても気になっています。僕らの時代と違って、写真の見方、鑑賞の仕方について少しでも教えていればよいのですが……。

写真の見方を知らない人は、「写真に何が写っているか」が最大の関心事となってしまいます。富士山=きれい、子犬=かわいい。そんな見方になる。被写体至上主義的(?)な写真の見方をする人が増えていくとどうなるのでしょう? 写真を撮る人は、どんどん絶景やめずらしい現象を追い求めていくようになる。撮る人も見る人も「絶景慣れ」してきます。さらなる絶景を求めるようになるでしょう。写真を見る目的が「刺激を求めること」になってしまうかもしれません。
 それでも、人は何気ない風景、何気ない写真に心動かされることがあるものです。若い人の場合はどうかわかりませんが、ある年代以上になると「何気なさ」に共感する機会が増えていきます。写真の見方が変わってくるわけです。
 その意味では、写真の鑑賞の仕方について学校で教える必要はないのかもしれません。いずれ身につくもの。けれども、もし10代のうちから写真鑑賞力を磨いたならば、もっと人生が心豊かなものになるのではないか? 僕はそう考えているのです。
 これは写真ばかりではありませんね。小説、マンガ、映画、演劇……、さまざまな表現手段があるわけですが、その鑑賞の仕方(鑑賞するための手がかり)について、ある程度は教育現場で教える必要があるのではないか? 僕はそう考えています。鑑賞の仕方はもちろん自由。ですが、何も手がかりがないと鑑賞しにくい作品もあるのです。
 たぶん、学校の授業で能や歌舞伎を鑑賞する機会があったら、事前に解説したりテキストを配るのではないかと思います。わかりにくいと思われる作品だからです。ところが、写真についてはほぼ全員「わかりやすい」と思い込んでいる。これは大いなる誤解と僕は言いたいですね。
 写真に写ってるものがわかったからといって、作品がわかったことにはならない。写真作品は「被写体を説明するもの」ではないのです。写真には「説明のための写真」と「写真家のものの見方、考え方を伝える写真」とがある。本テーマで、僕はおもに後者の写真(作品)について、自分の考えを述べていきたいと考えています。

写真には「カメラ」という機械が使われます。シャッターを押した時点でいったん写真ができあがる(後工程もありますが)。しかも、今の時代はデジカメを使って、誰でもきれいな写真が撮れるようになっています。このため、被写体至上主義的な誤解が広がっているのではないか、と僕は危惧しています。
 その一方、写真の不可思議な魅力に引き寄せられ、もっと深く知りたいと考える人も増えているのではないかと思います。不思議な魅力があると気づいたものの、それが何なのかわからない。そういう人は、僕のまわりにも何人かいます。
 こうした疑問に答えることができるかどうか、現時点では何ともいえません。僕自身、自問自答しながら書き進めていくことになるでしょう。目標は全20話。ベースとなる話はあるものの、ちゃんと伝わるかどうかちょっと心配です。100%伝わらないところも、写真のよさと考えるべきかもしれませんね。

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