
おはようございます。
朝7時45分、名寄の宿から音威子府へ向かう。1時間弱で到着。少し早く着いたので、撮影ポイントを探してみる。いい場所が見つかった。「ダウン・ザ・テッシ-オ-ペッ2019」2日目。撮影場所を変えながら、さまざまなカットを撮ることができた。ゴール地点は中川町の誉大橋を越えたあたり。そこで名寄のTさん、和寒のSさんと再会。Sさんと会うのは、たぶん15年ぶり。近いうちに取材で伺うことになりそうだ。午後2時45分、撮影終了。帰り道は遠く、長く感じられた。驚くほど眠い。強い日差しを浴びたためか? 途中、3回ほど仮眠。後半、ジャニス・ジョプリンを聴きながら運転したら、眠気は吹き飛んだ。8時5分帰宅。
再会しやすい体質の人
30代の頃まではまったく気づいていませんでしたが、仕事をしていると「過去の何か」とつながるという経験をすることがあるものです。
一番わかりやすいのは、ずっと疎遠になっていた人に再会するというような出来事。取材の仕事をしていると、こういう出来事がやけに多い。Sさんとは10数年前に同じ研修で学んだ仲間でした。自社の仕事だけに留まらず、地域のためになるような活動をしている。そういう人は取材対象となりやすい。再会するのは自然な成り行きともいえそうです。
50代に入ってからは、10年ぶり、20年ぶり、30年ぶりに再開するという人がずいぶん増えてきました。お互い同じような経験をしているのでしょう。大袈裟に再会を喜ぶというわけでもなく、昨日会ったばかりというような感じで再会することが多い。これは感動が薄いという意味ではありません。体の奥深いところで驚いているため、大袈裟なリアクションになりにくいのだと僕は解釈しています。
僕の考えでは、疎遠になっていた人と再会する回数の多い人と少ない人がいるのではないかと思います。多いほうがいいということでは必ずしもありませんが、そういう再会が不意にやってくるほうが人生としては楽しいのではなかろうか? 多いか少ないか。これはおもに2つの要素によって決まってくるのではないかと僕は考えています。
ひとつ目は、疎遠になるにしてもいい別れ方をしているかどうか、ですね。だから、喧嘩別れだけは避けるべき。若干の気まずさや誤解は時間が埋めてくれることがある。決定的な対立だと、それがちょっと難しい。僕の場合は、活動領域が変わったために何となく疎遠になったというケースが多い。だから活動領域に再び接点が生じた相手と再会を喜ぶことができる。
もうひとつは、自分の活動領域を広げるような仕事の仕方をしているかどうか。これは、今の自分がどんな意識レベルで働いているのかということ。自分や家族の生活のために働いているという意識では不十分なんですね。もちろん、生活は大事であり、「家族のために」という思いを強く持つことは立派なことではありますが、その意識が強すぎると活動領域は広がらない。自社をよりよくするためにとか、お客様のためにとか、地域に貢献するために……といった気持ちがあるかどうか。自分や自分の家族と同じくらい、職場の仲間や顧客や地域の人々を大切に思えるようになる。そんな人であれば、間違いなく活動領域が広がっていくはずです。
重要なのは今の働き方
活動領域はむやみに広げる必要はなく、自分の広げたいと思う方向へ広げていけばよいのではないかと思います。
会社の場合は長期ビジョンを描き、将来ドメイン(戦略ドメイン)を設定します。具体的に計画を立て、着実に実行していくと、ドメイン(事業領域)が少しずつ変化していく。出会う人や一緒に仕事をする企業が変わっていく。新しい人と会ったり、何10年ぶりに組むといったケースが増えていくことになるでしょう。
僕の考えでは、新しく出会う人もよいのですが、旧知の間柄というのはさらによい。そう思っています。相手の情報がすでにインプットされていて、その上で新しい情報を書き込んでいく。ある程度ベースとなる信頼感が存在している。新しい活動、新しい事業領域を創造していく上では、これが大きな安心感となるものです。
若手と呼ばれる年代の頃には、そのあたりのことがよくわかっていませんでした。僕の場合、対立や喧嘩別れは皆無なのですが(たぶん)、将来のつながりを考えた疎遠のなり方ではなかったような気がします(変な言い回しですね)。
たとえば、離職する人の中にも「将来のつながり」を意識した会社の辞め方をする人がいて、感心することがあります。関係を断つのではなく、別なつながり方をするという意識。損得勘定からではなく、つながりを持ち続けたいという気持ちが相手から伝わってくると、こちらも「いずれ一緒に仕事をするかもしれない」という感覚が残る。10年、20年たってから、そのような機会がやってくるかもしれません。
若手の人は、「自分には無限の可能性がある」と錯覚しているところがあるような気がします。一面では事実なのですが、考えるべきなのは今の生き方、仕事の仕方なのです。将来の可能性を狭める生き方、将来の芽を摘んでしまうような働き方をしていないかどうか? ここが非常に重要で、今の生き方、仕事の仕方次第で、自分の可能性は一生広げ続けることが可能なのだと思います。若手の人には、疎遠になっていた人との再会シーンをぜひイメージしてほしいですね。
そのためには、何10年後かに思い出してもらえるような人になること。そのような好ましい仕事をしなければならない。帯広で働くようになってから、そういう思いが強くなってきました。たぶん、北海道の中には僕と同じような考えの人が多いのではないでしょうか。