
おはようございます。
朝は文章のストーリー化の時間に充てようと思ったが、急ぎの仕事が飛び込んできた。10時、自宅でミーティング。昼食後、食事会のための買い物。大量に肉、魚、飲み物を購入。帰宅後は食事会の準備。これまで延期が続いて、外焼肉をするのは今シーズン初めてだと気づいた。
ガレージから椅子やライトを出したり、ガーデンチェアを丸洗いしたり。すぐ横ではプレス課のK氏、M氏がテントの設営を行っていた。天気予報は雨だった。5時からはピザづくり。ピザ生地を伸ばし、ピザソース、具材、チーズを乗せる。途中からY氏にバトンタッチ。僕はピザ窯に炭を入れる。実にいい感じ。これまでで最高と思える火加減。乾杯する前に、速やかにピザが焼き上がった。というよりも、ちょっと焦げた。乾杯後も僕はピザ焼き職人に徹した。連続6枚焼いてから、ジンギスカンを食べ始める。最初はノンアルコールビールを飲んでいたが、牛乳が飲みたくなった。届いたばかりのクリーマリー農夢の牛乳を何人かで飲む。ジンギスカンに合う。僕はそう思っているが、周囲の賛同は得られなかった。
雨は本降り。だが、スロウ村等で使っているテントが4張あると大人数でも快適だ。8時半頃終了。最後まで台所の片付けをしてくれたH氏が帰ったのは9時頃。次回の食事会は晴れて、湿度が低ければいいな、と思った。
北海道文化のひとつとして
というわけで、我が社の食事会はずいぶん機能的になっているような気がします。特に指示を出す人はおらず、みんな自分の役割を認識していて効率的に準備作業を進めていく。指示されてから動いているのは僕くらいのものでしょう。片付け作業も参加者が自主的に参加しますから、速やかに終えることができる。ちゃんと片付けないと、翌朝カラスがやってきます。最初に外焼肉の食事会を開催したときはカラスを集めてしまいました。今は万全の後片付けです。
我が社の食事会にひとつ難点があるとすれば、参加人数が把握できないことでしょうね。グループ分けしているため、一応、人数は明確になっているのですが、参加できない人、飛び入り参加する人もいて、人数は増減します。昨日は雨だから中止になったはず……と勘違いした人がいたようです。大量の肉と寸胴いっぱいのトマトスープを用意していましたが、ずいぶん余りました。その分、参加者には「お持ち帰り」という特典があったと思います。
いずれにせよ、自宅の庭でいつでもジンギスカン、焼肉、バーベキューができるというのが、北海道で暮らしている僕らの強み(?)ですね。週末になると家族で肉を焼いている姿が見られますし、会社単位でも行っているところが多い。
大都市に勤めている人の場合は、仕事帰りに同僚と居酒屋へ行ったり、たまには宴会ということになるのでしょう。北海道、それも地方都市ではほぼ全員車で通勤しています。家が近い人は徒歩通勤ですが。ですから、居酒屋へ行くよりは、外焼肉の頻度が高い。街中へ飲みに行くときは、何か特別な理由がいるのではないかと思います。もちろん、飲み歩くのが好きな人は別ですが……。
半世紀以上火を囲んできた我が社
会社で行う外焼肉は、直接的には業務改善と何の関係もありません。準備作業は業務時間内から始まっていますから、むしろ業務の妨げにもなっている。けれども、これは我が社にとって必要な「業務」の一部ではないかと僕は考えています。
最初に始めたのは確か7年くらい前だったと記憶しています。それまでも外焼肉はありました。以前は業者の依頼し、緑ヶ丘公園とか河川敷で行っていました。準備も後片付けも業者さんがやってくれるので、確かに楽ではありました。しかし、何となく違うな……という気持ちを僕は持っていたのです。
僕の記憶をたどっていくと、我が社の外焼肉の歴史は半世紀以上前にさかのぼります。
初めてジンギスカンの味を知ったのはどこだったのか? これには2つ説があって、ひとつ目は平和園本店。もうひとつは会社(日邦社高原印刷所の時代)で行われたジンギスカン大会(花見だったかもしれません)。どちらが先は問題ではありません。1960年代のどこかで、僕は強烈なジンギスカン体験を重ね、今に至っているのです。
今我が社で行っているのは外焼肉であって、ジンギスカンとはちょっと違います。ジンギスカン鍋があるかどうか。ここが重要ですね。ただ、平和園のジンギスカンは僕の中では別格の扱い。焼き方はともかく、紛れもなくジンギスカンの味がします。ジンギスカン白樺のジンギスカン鍋もロストルが入っていますから、「鍋」ではなく、焼き重視のジンギスカンといえます。どこまでがジンギスカンで、どこまでが焼肉なのか? このあたりの線引きはちょっと難しい。
それはさておき、大事なのは会社の仲間と火を囲んで肉を食べること。そして、できるだけ一緒に準備して、一緒に片付けることですね。これは複数の職種にまたがる会社には、必要なことではないかと思います。
ふだん一緒に仕事をしているつもりでも、営業、編集、制作、印刷、製本……その他さまざまな職種の人がいて、お互いに相手の仕事を理解しているとはいえないわけです。何となく、こんな仕事をしているというイメージは持っているはず。けれども、その仕事の困難な部分を知っているわけではありません。つい無茶な要求をしたり、要望されたことを「できない」のひと言で突っぱねたり、小さな摩擦やすれ違いが起こっているに違いありません。
仕事の中身は十分わからなくても、人として親しみが持てるとか、信頼することができるという状態を保つことが重要なのではないか? たぶん、半世紀以上前から「みんなで火を囲んで肉を食べる」という文化を持ち続けてきたのには、こうした理由があったはずだと考えています。間接的に業務改善につながっていると思うのです。