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経営指針の話49 思い通りにしないのが思い通り

経営指針の話49 思い通りにしないのが思い通り

おはようございます。
 午前9時半、臨時の組合理事会。経営環境は刻々と変化している。これまで通りのものの見方、考え方では通用しない。変化に対応するためには、自社も業界も大きく変わらねばならない。今の変化のスピードでは遅いと思った。午後1時、H社へ。これが最後となるに違いない取材。H社と我が社は似ているのに対照的。それだけに興味深い。似ている部分と対照的な部分を洗い出していくと、そこに深い意味がありそうな気がする。だが、毎回話を聴く度に謎が深まっていって、深い意味までたどり着くことができない。特に昨日は最高気温34度の中、扇風機の暖かい風を受けながら、「これは現実なのか幻なのか」よくわからぬまま、謎めいた話に耳を傾けていた。写真家的に解釈すると、「影があるから光が存在する」ということになるのだろうか? 僕がここ25年くらい探し求めていた答が、このあたりに隠されているような気がしてならない。謎が解明されぬまま取材は完了した。
 5時頃帰宅。すでに頭脳労働困難な状態になっていた。昨日はずっと「ガリガリ君手当を出そう」と考えていた。夕方、某スーパーにあったガリガリ君をほぼすべて買い占める。何とか、自宅の冷凍庫に収まった。今日午後、全社員に配布予定。水出しコーヒーも準備完了。これで猛暑をしのいでもらいたい。

「なぜやるのか」と「なぜそうなったのか」

創業したばかりの会社であれば、謎は少ないに違いありません。それが10年、20年と会社が続いていき、2代目の時代になると、よくわからないことが増えていくものです。創業から60年もたつと、わからないことだらけになっていることでしょう。
 それでも、創業者が健在であれば、ある程度謎を解明することは可能なはず……。僕はそう考えてきたのですが、案外そうではないのかもしれません。事実関係を解明することはできても、「なぜそうなったのか」についてはわからないことのほうが多い。5W2Hの多くを解明できても、「なぜ(Why)」が残る。
 Whyには「なぜやるのか」と「なぜそうなったのか」の2種類があります。経営指針書には「なぜやるのか」が記述されている。我が社の経営指針書には、「なぜそうなったのか」は書かれていません。
 「なぜそうなったのか」は、経営指針書ではなく、社史、記念誌、経営者の自叙伝の中で著されるものなのでしょう。しかし、重要な出来事については経営指針書に記載すべきかもしれません。今なぜ自分たちはこの仕事を行っているのか。それは全社員、知っておく必要があります。「なぜやるのか」だけでは、説明が不十分ではないかと思うのです。
 自分の人生を振り返ってみても、「なぜやるのか」(動機)を明確に認識してやってきた事柄だけではないはずです。よくわからぬまま、何か(または誰か)に巻き込まれてやらざるを得なくなり、「なぜそうなったのか」について考えさせられることも多いのではないかと思います。
 自分の意志に基づく行動。そして、周囲の思惑や環境の変化によって、そうせざるを得なかったという行動。本当に望んでいるのは前者の生き方に違いないのですが、現実には後者のほうが多い。企業経営者であっても、自分の意志通りにはならないものではないでしょうか。
 これまでの取材を通じて、僕との最大の共通項をひとつ挙げるとすれば、それは「思い通りにしない、というのが実は思い通りなのだ」というところ。究極的といえるのは「自分では意思決定しない」という話。実際には重要な意思決定をしてきたと思いますが、「決めない」という考え方は謎めいていて、僕には興味深く感じられます。「経営者は物事を決めるのが仕事」という常識に反しているからです。

1/100でよいという考え

経営者が「自分の思い通りに経営する会社」と「思い通りにならないと感じながら経営する会社」。どちらがよい会社なのかは何とも言えません。
 ひとつ言えることは、前者には謎が少なく、後者には謎が多いということ。H社の取材の中では、「不思議ですね」という言葉が頻繁に出てきます。不思議な偶然や神秘的な出来事が多いのです。
 取材するS氏と僕も不思議だなと思いながら耳を傾ける。経営者が自分の思い通りに経営してきた会社の場合は、感心、尊敬することはあっても、不思議な気持ちになることは少ない。ところが、「思い通りにしない会社」の話は、聴けば聴くほど謎が深まり、好奇心が湧いてくる。こういう会社はH社の他にもいくつか知っています。一度や二度の取材で解明できるものではありません。
 かくいう我が社も、実は謎の多い会社のひとつでしょう。もっとも、我が社の場合は、思い通りにしたくてもできなかった、というのが正直なところ。僕の経営者としての力量の問題がある。ただ、思い通りにはならないのだけれど、こうあるべきだという哲学、ビジョン、事業イメージを繰り返し伝え続ける。そうすると、100のうちひとつかふたつくらい現実のものとなることがあります。それでよしとしよう……というのが僕の考えです。思い描いていたものとは違っていても、自分の理想の一部が現実の中に反映されている。僕の場合はそれで十分だと思っています。
 謎の多い会社の経営者は、哲学的になっていく。本当のところはわかりませんが、そんな気がします。今起こっている現象の中から意味を見いだそうとしますし、過去の出来事と今とのつながりを見つけ出そうとします。ただ、ここを深追いしすぎると、思考が内向きになってしまったり、自己満足的な傾向が出てくることがあるので注意しなければなりません。
 自分の心の状態が周囲に影響を及ぼし、不思議な偶然や神秘的な出来事を招くとも考えられます。もちろん、それは自社のすべての人に当てはまる。その結果、「経営者の思い通りにすること」を放棄した会社は、どんどん謎めいた会社になっていくのではないかと思います。「心の状態=思い」に影響を受けて現実がつくられていくのですから、これこそ「思い通り」なのではないかと思うのです。

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