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仕事観について17 新たな解釈

仕事観について17 新たな解釈

おはようございます。
 昼食抜き。朝から午後4時まで集中してパソコンに向かった結果、12000字書き上げた。深夜までかかることを覚悟していたが、思ったよりも早く終わった。最近ときどき試しているのだが、ベートーベンの英雄、皇帝、田園をBGMにして原稿を書くと調子がいいようだ。原稿執筆にはモーツァルトよりベートーベンなのかもしれない。夕方からは休日気分を味わった。

自分が出合うべき仕事

自分にとって重たい仕事というものがいくつかあるわけですが、昨日の原稿もそのひとつでした。字数としては特別長いというわけではありません。また、重たいといっても「書く仕事」ですから、これまで30年間やり続けてきたこと。難度という点では、確かに困難な仕事でした。しかし、僕にはそれとは別な重たさを感じながらパソコンに向かっていました。
 ある経営者の80年にわたる歴史、思想、哲学、実体験。その一部を僕が担当したわけですが、難解、複雑であるだけではなく、ストレートにグサリと突き刺さってくる言葉が随所に盛り込まれているのです。この言葉は僕にとっては重すぎる……。そんな気持ちになりながら書いていました。
 もしかすると、その効果を意図してあえて語ってくれたのかもしれない。そう思われるフシもあります。そこは何とも言えないところ。尋ねてみる気もありませんし、尋ねてもきっとうやむやになってしまうことでしょう。僕はそのように解釈した。それだけでよいのだと思います。
 仕事をしていると、ごくたまにこのような経験をすることがあります。まさに、今の自分に必要な仕事、必要な情報が与えられている……。そう直感するのです。なぜ、このような絶妙のタイミングなのか? そう驚くこともありますし、もう少し早く気づいていれば、と思うこともあります。
 若干のタイムラグがあるにせよ、自分が知っておかなければならない話、あるいは経験しておかなければならない出来事というものがある。僕は取材の仕事で経験することが多いのですが、他の職種の人もきっと同じような経験をしているに違いありません。
 自分にとって耳の痛いこと、できれば避けて通りたいと思うようなこと。それを面と向かって「あなたはこうだ」と指摘されてしまうと、素直には受け止めにくいものです。ところが、取材ですから、あくまでも話の大半は取材相手の考えていることや経験してきたこと。僕が勝手に、自分の考えや経験と結びつけているに過ぎません。
 僕は今回の一連の取材、執筆を通じて、計り知れない恩恵を受けたのではないか? その意味するところはまだよくわかっていないのですが、現時点ではそう思えてなりません。セミナーを受けても本を読んでも得られない、貴重な話を伺うことができました。
 ただ、残念なのは僕の理解力、解釈力、想像力が追いついていないというところ。経験してきたことがまったく異なるのですから、当然と言えば当然のこと。僕もあと10年か20年たったら、謎の一部を解明できるのでしょうか? こうした深みにはまる覚悟が自分にはあるのか。ここも重要なポイントのひとつといえそうです。

意味を考える

今回は僕にとって特大級に重かったわけですが、仕事人生の中では何度もそうした仕事に遭遇するものです。たぶん、誰でも20代のうちから、そうした仕事に出合う。それは「重い」ではなく、「楽しい」「めずらしい」「不可解な」といった出合いかもしれません。その場ではわからなくても、後日「変だな」と思うこともある。いずれにせよ、いつもの仕事とは違う何かに気づくわけです。
 気づいたときに、解釈を試みることが重要なのではないかと思います。そうすると、必ず自分にとって何かしらの意味があることに気づくはず。「求めよ、さらば与えられん」ということでしょう。自分の中にはいくつもの「問い」があって、意識的か無意識的かは別として、問いに対する答を見つけ出そうとしている。その答に関係するような出来事や仕事に出合ったとき、いつもとは違う何かを感じ取ることになるわけです。
 したがって、問いをいっぱい持っている人のほうが、「仕事の意味を考える」ことが多いに違いありません。問題は、それを肯定的に、前向きに、建設的に、具体的に考えることができるかどうか? 否定的解釈であってはならないわけです。必ず、自分の成長や物事をよい方向へ導いていこうという姿勢を持っていなければならない。ここでは自分の心理的ポジションが重要になってきます。
 僕も当然ながら肯定的解釈を試みるわけですが、それとは別に、どうしても「神秘性」というものを感じないわけにはいきません。どうしてこのような機会が得られたのだろうか? それは幸運とか偶然といったことではなく、何か別な力が作用したのではないかと思えてしまう。これも僕の解釈力の一部なのかもしれません。
 昨日、部分的にテープ起こしをしていて、おもしろいなと思った話がありました。それは「年表に空白のスペースをつくってほしい」というリクエストでした。この気持ちはよくわかります。僕らは未来に向かって今の仕事に集中しているわけですが、同時にそれは過去に対して意味づけするための活動でもあります。未来志向か過去志向かという二者択一ではなく、「どちらも」なのです。
 これまでやってきたことを肯定的に解釈できなければ、これから取り組む仕事に全エネルギーを集中させることはできないのではないか? そんなふうに思います。ですから、過去の出来事、意思決定、業績に対して未解明なところがあれば、できるだけ新たな解釈を行い、年表に書き加えたい。そのようなことではないかと思うのです。
 最終的に、この仕事はどのようにまとめ上げられるのだろう? とても気になるところです。

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