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仕事観について21 意外な展開

仕事観について21 意外な展開

おはようございます。
 朝7時半出発。めまぐるしく天気が変わる。午後1時頃、中川町に到着。木工作家、高橋綾子さんの書籍出版譲渡会。僕はまだ本を手にしていない。読むのが楽しみだ。4時からは名寄。M氏の取材。スロウ次号の特集記事だが、話は思いのほか深いところまで掘り下げられていく。気づくと、外は暗くなっていた。名寄に宿泊。

人生の大転換

今、自分はなぜここにいるのだろう? ふとそう思うことがあります。これはたぶん、多くの人が考えることではないでしょうか。何の疑問もなく今の仕事に就き、今の場所に住んでいるという人はほとんどいないに違いありません。また、子供の頃から思い描いていた通りの人生を歩んでいる……という人も少ないはず。
 子供の頃からの夢を叶えた人も、まったく違う道に進んだという人も、「何か不思議な出来事があって、今ここにいる」という人が多いのではないかと思います。
 人生は思い通りにならないもの……と言うつもりはありません。思い通りになっている人も、思った以上になっている人も大勢います。しかし、思い通りにならなくても悲観する必要はまったくなく、むしろ、その思い通りにならない中におもしろみがあるわけです。この意外性を楽しむという心の余裕が人生には必要なのではなかろうか? といっても、変化の真っ只中にいると、そんな余裕を感じてはおられませんが……。
 昨日の取材では、実に不思議な道のりを経て生まれ故郷に戻ってきた、という話を聴くことになりました。普通に考えると、たぶんこのような人生の選択はしないはず。しかし、そこには他人にはうかがい知ることのできない必然性があったのでしょう。
 自分史の中にはどんなフィクションよりもおもしろいと感じるストーリーが秘められているものです。昨日はその一部を聴くことができました。しかも、そのストーリーはまだまだ続いていくもので、この先の展開が僕には予測できない。たぶん、本人にも予測不能なところがあるのではないか? 決められた道を進んでいくのとは対極にある人生。ここにおもしろみを感じますし、第三者には理解できない大変さもあるに違いありません。
 子供の頃、あるいは社会人になりたての頃には、シンプルな自分史を思い描くものです。寝食忘れて懸命に働いて仕事を覚え、やがて一人前になり、経験を重ねてひとかどの仕事人となっていく。そのうち家庭を持つようになり、家を建て……。あまりにもありきたりなので、このくらいにしましょう。
 実際、外形的にはこのような人生を歩んできたという人であっても、中身に焦点を合わせると、そこには「不思議な偶然」や「避けようのないアクシデント」、「宿命的な出会い」といったものがあるのではないかと思います。
 人生が中盤に差し掛かった頃、その意味について深く考えるようになっていく。僕も40歳を目前にして人生の大転換がありましたから、必然的に考えることになりました。人生のどのタイミングで深く考えることになるのかは、人それぞれでしょう。しょっちゅう考える人もいれば、ふだんはまったく考えないという人もいるはずです。ちなみに、僕は「常日頃考えている」というタイプ。考えすぎると行動力が鈍るので、ふだんは考えないほうがよいかもしれません。

ストーリー性と一貫性

たとえ、写真一筋に生きていこう……と固い決意を持って社会人になったとしても、実際にはそうなりにくいものです。これは「決意の固さ」だけの問題ではない。その人が背負っているものが何なのかによるわけです。
 僕の場合は写真一筋を貫こうと思えばできたのかもしれません。しかし、「継ぐ」という道を選んだ。それは考え抜いた末の結論ではなく、瞬間的にそう反応したんですね。0.5秒もかかりませんでした。
 考えれば考えるほど、多くの情報を頭の中で集めて「この選択をしたらこうなる」というシミュレーションを行うことになるでしょう。そうすると、自分の能力のなさや決定的な知識不足といったものがネックとなって、どうしても否定的、消極的な選択をしてしまいやすい。人にもよるでしょうが、前向き、積極的な選択をするには、3秒以上かけてはいけないわけです。時間をかければかけるほど、現実的になったり、損得勘定が混じり込んだりする。不純なものが混じり込むと、それは自分の撮る写真に影響を及ぼします。重要な意思決定には時間をかけない。それがフォトグラファーの掟(?)ですね。
 その結果、僕は「写真一筋に生きる」から「写真家的に生きる」に軌道修正することとなったわけです。これは僕にとっては妥協的な選択ではありません。その後、東京時代よりも自分の撮りたい写真を仕事で撮ることができるようになりましたから、その意味ではよい選択でした。
 人生は成り行きまかせであってはいけないわけですが、幸運な偶然や宿命的なものを感じたときには、素直に身を任せることが大切なのではないかと思います。もちろん、変なところに反応して、明らかに誤った道を選択してしまう人もいますから、注意が必要です。
 何が正しくて何が間違いなのか? ひと言で言うことはできませんが、たぶんそれは「ストーリー性」のようなものではないかと考えています。人生の終盤に自分史を書いたときに、違和感を覚えるような選択を行ってはいけない。大きな転換点はあってよいわけですが、そこに人生としての一貫性があるかどうか。ここが重要ではないかと思います。
 僕の人生にも、もう1、2回くらい大転換があるような気がします。

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