おはようございます。
朝4時50分から然別湖周辺を撮影。絶好のコンディション。まずは湖の前で定番的な写真を撮る。それから車で北へ。木と木の間からわずかに見える風景を望遠で撮影。僕のお気に入りの撮影スポットがあるのだが、気づかずに一度通り過ぎてしまった。しばらく来ていなかったためか? ひと通り、撮り終えてから南下。扇ヶ原展望台からの雲海が素晴らしい。撮りにくい場所だが、駒止湖も撮影してみた。6時半、宿に戻る。7時過ぎ、朝食を食べてから帰宅。撮影データのコピーや取材写真のセレクト等を行うが、時折睡魔に襲われる。なかなか進まない。半分以上は休日として過ごす。
不自由感と写真
他の人はどうしているのかわかりませんが、風景撮影というのは不自由感とどう折り合いをつけるのかが、重要なポイントではないかと思っています。「ここに木がなければ、湖がきれいに撮れるのに……」といった、撮影時に感じる不自由感。あるいは、今まさに撮影しようと思っていた瞬間、急に太陽が雲に隠れたりする。思い通りにはならないというのが風景撮影の常。
その一方では、見慣れている場所なのに、不思議としか思えないような美しい姿を見せることもある。風景撮影には偶然が大きく作用します。自分の目の前に広がる風景は偶然のたまもの。しかし、そこに自分がいてカメラを構えているというのは、偶然ではなく選択です。朝寝坊することもできるが、早起きして撮影することもできる。昨日の朝は「絶対撮影しよう」と決めていたので、何とかその通り行動することができました。
思えば、経営指針研究会の一泊研修を然別湖で行うのは、2013年3月以来。このときは第1期。経営指針委員も研究生も手探り状態で経営指針づくりを行っていた。どうにも思い通りに進めていくことができず、一泊研修で遅れを取り戻そう、ということになったんですね。びっしり勉強した後、コタンのアイスバーで飲んだ記憶が残っています。そのときは、経営指針研究会をどうするかで頭がいっぱいだったため、風景撮影しようという気持ちにはなりませんでした。
然別湖とその周辺は、僕にとって被写体の宝庫。そして、かなり高い確率で天候に恵まれる。晴天が多いという意味ではなく、雨や雪が降っても「撮りたくなる」という天候。特に早朝は最高ですね。
ただし、前述のような不自由感を強く感じるような場所でもあるわけです。「もし○○だったなら……」。そう感じさせられるような場面がやたら多い。木々の向こう側には素晴らしい風景が広がっているというのに、それを撮ることができない。駒止湖であれば、近づくことすらできません。
このあたり、自社の経営に近いところがあると僕は考えています。素晴らしい風景があるのに撮影できない。それと同じように、素晴らしい仕事ができそうなのに、それができずにいる自社がいる。何かが、「風景と自分」、「素晴らしい仕事と自社」の間に立ちふさがっているわけです。
風景撮影の場合、当然ながら木を切り倒すわけにはいきません。前に進むか、あきらめるか、撮り方を変えるかのいずれか。企業経営の場合も前に進む、あきらめる、やり方を変えるのどれかを選ぶことになるでしょう。
制約がある中で作品を生み出す
経営指針の中の「経営方針」「経営計画」について考える際、こうした不自由感との折り合いのつけ方が重要ではないかと思っています。立ちふさがる障害の向こうに、本当にやりたいと感じる仕事がある。そこへたどり着きたい。だから「前に進む」というのを第一に考えるべきでしょう。しかし、進むだけが能ではない。一直線に進むのではなく、やり方を変えてみるというのも重要な選択肢といえるでしょう。
自社のやりたいことと自社の持つ能力。両者がうまくマッチしているとは限りません。やり方を変えることでビジョンに近づくのであれば、そのほうがよい方法ということになります。
そしてまた、「あきらめる」というのもひとつの選択ではないかと思います。これはやりたいことがいくつもある場合。本当にやりたいことに集中するために、第二、第三のやりたいことをあきらめる。ここが僕には非常に難しいと感じるところ。あきらめたら二度とチャンスはやってこないのではないか? そう感じることがあるのです。
僕の過去の経験では、何年後かに似たようなチャンスがやってくることもあります。ただし、一期一会と考えるべきでしょうね。そうしないと、過去が気になって目の前にあるチャンスに集中できなくなる。うまくいかなくなると、「数年前のあのときにやっていれば……」などと後悔する。これではうまくいくはずありません。
制約のある中で一枚の写真作品を生み出す。それが写真家の務め。同様に、制約の多い中で、事業活動を行い、世の中に自社ならではの価値を提供するというのが企業の務めであるわけです。
経営ビジョンは「あらゆる制約を頭の中から取り払った状態で自由に思い描く」ものですが、経営方針、経営計画の場合は、不自由感を感じながら実現への道筋をイメージし、具体的な計画へ落とし込んでいくものです。つまり、不自由感を感じながらも、自由を求めて方針、計画を立てていく。そこに企業経営のやり甲斐があるのではなかろうか?
不自由感をしっかり感じながら、その中から自社の可能性を見いだし、わずかなチャンスに全力を注ぎ込む。そういう経営方針、経営計画を立てていくべきではないかと考えます。わずかなチャンスというのは、可能性が低いという意味ではありません。「これしかない」と思って、みんなが信じるということ。みんな自由を求めて生きているわけですから、「不自由な状態を何とかしたい」という気持ちの高まりが重要。それを共通の言語で表していくのが経営指針。ここでは写真的アプローチ法がきっと役立つに違いない、というのが僕の考えです。