おはようございます。
朝6時半出発。I氏、S氏とともに富良野へ。8時40分到着。I氏による取材。スロウでは撮り慣れている被写体。しかし、タイミングが難しい。一定のリズムを覚えることと、仕上がりを正確にイメージすることを心がけた。最大の課題はピントが合わせにくいことかな。ある程度速いシャッター速度が求められるが、光量はギリギリだった。もっと明るいレンズが必要なのかもしれない。11時半頃取材終了。I氏はフラノマルシェからバスで帰社するという。S氏と僕は千歳へ。おなじみの施設のバックヤードで取材&撮影。思ったよりもカット数がある。4時半頃取材終了。6時半帰宅。久しぶりに睡眠不足を解消した。
世界一速く歩くのは……
昨日の2件の取材でおもしろかったのは、仕事のスピードでした。最初の取材では、同時並行的にある食品が焼き上げられていました。一番大きなスペースを占めているのは石窯。他に2台だったと思うのですが、オーブンがあった。作業が緻密なのか、自然な流れなのか、僕にはわかりません。ただ、片時も休む暇はなく、常に何かの作業が行われているという状態。それがなめらかな動きに感じられる。待ち時間がないというところが素晴らしいと思いました。
後半の取材は大型の施設であるため、移動距離が長い。対応していただいた方はハイヒールを履いているというのに、歩く速度がやけに速い。これは僕の歩行速度が年々遅くなってきたためかもしれません。意識して速く歩くことを心がけねば。そう気づかされる取材でした。製造業の中にはスピードメーターを設置しているところもあると聞きます。我が社には不要だと思いますが、スピードを意識するということは業務改革を進める上で重要なポイントのひとつといえるでしょう。
日本で一番歩行スピードの速い都市は大阪……と思い込んでいたのですが、実は東京のほうが速いようですね。その東京も世界の都市と比べると、それほど速いわけではない。一位はシンガポールのようです。ただ、ちょっと古い調査なので、順位は変わっているかもしれません。おもしろいのは、歩行速度と経済成長率との間に相関関係があるということ。高度成長期の日本人の歩行速度がどのくらいだったのか、ちょっと気になります。
僕も東京に住んでいた頃は、ずいぶん速歩でした。エスカレーターでも立ち止まることはありません。いかに移動時間を縮められるかが勝負……みたいに考えていました。帯広にUターンしてから歩く機会が減り、車中心の生活になりました。そこから歩行速度が低下していったように感じています。東京や札幌に出張した際、歩いていて追い越されたりすると、まるで時代から取り残されてしまうかのような危機感を覚えます。大都市への出張を増やせば、速歩の習慣を取り戻せるかもしれません。
昨日はずいぶん歩きました。ただ、今週は自宅にこもってずっと経営指針書づくりに励んでいましたから、ほとんど歩いていないような気がします。たぶん1日1000歩未満。せめてウォーキングマシンを活用せねば。千歳そう痛感しましたね。
原稿を書くスピード
そんな僕ですが、ここ20年間でスピードを上げた分野があります。早食いではありません。食べる速度はたぶん昔も今も変わらない。ちなみに、食べる量はピーク時の1/3くらいに減少しました。
スピードが上がったのは、原稿を書く速度です。20年前と今とでは書いている原稿の種類が異なります。単純比較することはできません。それでも、確かに「スピードが上がった」という実感がある。その実感の根拠といえるもの。それは次に書くべき事柄が自然に頭に浮かんでくるということ。20年くらい前までは、「言葉を絞り出している」という感覚だったのですが、今は「自然に浮かぶ、またはにじみ出てくる」という感じ。いつもそうだというわけではありませんが、この違いは非常に大きい。
これは情報のインプット量の違いによるものなのかもしれません。20年前に書いていたタイアップ広告の文章の場合、決定的に情報量が少ない中で原稿を書いていた。与えられる情報は商品とカタログだけということもありました。これで何を書くのだ? そう思っても、書いて入稿しなければ終わらない仕事。取材もできず、ネットで調べることもできない(検索しても出てこない)。懸命にイメージして言葉を絞り出す。これはこれでおもしろかったわけですが、こんな仕事の仕方でよいのかという疑問もありました。
この点、スロウの取材では記事が3回書けるくらいたっぷり話を聴きますから、アウトプットに困るという編集者は少ないのではなかろうか?
駆け出しの頃に一番苦労するのは、文章作成技術の未熟さによるものでしょう。日本語力が決定的に欠如している人には厳しい世界。しかし、表現力の未熟さについては経験を積むことで何とかなる、と僕は考えています。それよりも、「考えること」と「豊かな感性」が重要であるはず。考えたり、感じたりすることを大切にしている人は、時間がかかってもものになる。技術に頼り切った書き方をすると、底の浅い記事になる。
僕の考えるところ、文章を書く速度は「一時的に遅くなる時期」がやってくる。深く考えることに時間を充てたい。自己成長の過程において、そんな欲求が抑えられない時期がやってくるのではないかと思うのです。ここが一番楽しくも苦しくもある時期ですが、それを乗り越えればスピードは再び上がっていく。
みんな同じような成長の仕方をするわけではありません。ただ、努力しても停滞していると感じるような時期には、水面下で何かが変化していると考えるべきでしょう。一時的には生産性が落ちる時期でもありますから、目に見える動き、すなわち、手足の動作を速めてカバーするほかありません。仕事の種類は違いますが、昨日の取材で見たように、なめらかな動きと歩行速度を上げること。これはあらゆる職種に求められる行動の仕方といえそうです。