
「untitled」( 1999年、Gallery・DOT) (c) Atsushi Takahara
皆さん、こんばんは。
僕は朝型人間なので、夜に文章を書くとものすごく時間がかかったり、支離滅裂になったりします。けれども、明日は我が社の早朝勉強会、次世代幹部養成塾の日。いつもより1時間半早く始動しなければなりません。というわけで、今日は夜書くことにしました。
2話連続、ちょっと理屈っぽい話の展開になりましたから、少し論理が破綻しかかったくらいのほうがわかりやすいかもしれません。写真は論理的に「正しいかどうか」論ずるものではなく、「心地よいかどうか」「共感できるかどうか」「楽しいかどうか」のほうがはるかに大切なのです。
そんな観点から、今夜は「いい写真とは何か」について考えていくことにしましょう。
心にプラスの変化をもたらすもの
第4話では、「視覚体験の積み重ねによって美の基準が形成されていく」といった話を展開していきました。
これとまったく同じことが、食べ物にも当てはまると思うのです。幼少時から今日までの味覚体験。自分がこれまでどんなものを食べてきたか? それによって、食べ物に対する自分の好き嫌いが決まっていき、おいしいかどうか感じられるようになる。
食べ物に対しておいしいと感じるかどうかは、人によって異なります。それは味覚体験が違うというのが最大の理由でしょう。味覚体験の少ない子どもの場合は、甘い、辛い、しょっぱいといった単純な味わい方になりやすい。味覚体験を積み重ねた大人は、もっと複雑な味を区別できるようになっています。平面的、直線的な味よりも、立体的で複雑な味を好むようになっていくに違いありません(個人差はありますが)。
ですから、食べ物のおいしさを言葉で表現するのは非常に困難なものです。その味をイメージさせるような文章表現は、ある程度可能なのかもしれません。けれども、味覚体験に個人差があるわけですから、どのような言葉で表しても、正確に伝えることなど不可能。文章によって伝えられるのは、その食べ物がどのくらい魅力的なものであるかということ。味そのものを言葉で再現できるわけではありません。
写真も同様に、言葉によって置き換えることは不可能と考えるべきでしょう。ですから、写真の評論や解説というものは鑑賞の手助けにはなるものの、作品を見るときに依存しすぎるべきではありません。作品を見る前に解説文を読むのは考えもの。あくまでも写真が主であるわけですから、純粋に写真と対峙し、そこから何かを感じ取ることに徹するべきではないかと思います。
「いい写真とは?」というテーマですが、本当のことを言うと、最初からいい写真とつまらない写真があるわけではないのです。
写真の鑑賞者が写真の価値を決める。見る人が「いい」か「つまらない」か感じ取っているだけではないかと思います。「これは歴史的評価の高いいい写真だから、しっかり鑑賞しましょう」と言われても、「いい」と感じなければ、自分にとっての価値はゼロなのです。
しかし、自分にとって価値はなくとも、他の人の目には「素晴らしい作品」と映ることがある。写真に限らず、絵画でも彫刻でも映画でも同じこと。したがって、自分がつまらないと思っても、将来、視覚体験を積み重ねた結果「いい」と思う可能性がある、ということを心に留めておくとよいのではないかと思います。切り捨てるのは簡単ですが、心に留めておくとそれも視覚体験のひとつになる。別な視覚体験と化学反応を起こし、突如、その作品のよさに気づくこともあるのです。
僕にとってのいい写真とは、「見る人の心の状態にプラスの変化をもたらすもの」のことです。もう少し踏み込んで言えば、「見る人にとって重要な視覚体験となり、その人の世界の見え方に変化をもたらすようなもの」。あるいは、「忘れかけていた記憶を呼び覚まし、脳が活性化するようなもの」。いい写真は、見る人を成長させるものです。
日常と非日常。ほとんどの人は大半の時間を「日常」が占めているのではないかと思います。絶景を見に行く、有名観光地へ旅行に行くというのは、「非日常」を求めているからに他なりません。そうした場所で撮影した写真には、確かに「心の状態にプラスの変化をもたらすもの」が多いことでしょう。つまり、いい写真が多い。
けれども、絶景ばかりを追いかけすぎると、日常に対する退屈さも増幅してしまうような気がします。
これは僕の個人的見解ですが、日常の中から「心の状態にプラスの変化をもたらすもの」を見つけるという体験を増やすのがよいのではないかと思います。非日常を楽しむのももちろん素晴らしいことです。その上で、日常の風景を楽しむ(または愉しむ)ことができれば、より素晴らしい視覚体験の積み重ねとなるのではないでしょうか。
日常をそのように上質なものへと変えていくためには、新しいものの見方や考え方を手に入れる必要があります。写真家の作品には「新しいものの見方」や「魅力的な考え方」が表現されています。作品からインスピレーションを得て、現実の世界を見ると、これまでと少し違って見えることに気づくことがあるでしょう。自分の写真鑑賞力が成長したと考えてよいのではないかと思います。
多くの場合、写真作品には撮影者の内面が投影されています。直接的に感じることもあれば、巧妙に(?)それが隠されている場合もあるでしょう。人間の心の中は複雑です。楽しい、さびしい、うれしい、恐ろしい……といった心の中の動きは、ひと言で片付けられるような単純なものではありません。写真は「被写体にカメラを向け、シャッターを押し、画像を定着させる」技法ですから、撮影者の直接的な内面表現には向いていません。
あくまでも間接的に表現されることが多い。それゆえに複雑な味わいを持ち、鑑賞者の内面世界を揺さぶることにもなる。複雑で少しわかりにくい。ここに写真の持つおもしろさがあると僕は考えています。
