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第43話 牡蠣と人生

第43話 牡蠣と人生

おはようございます。
 朝は水出しコーヒーの作成。続いて「記憶の中の風景」の制作に集中する。写真の画質調整。それらをインデザインのフォーマットに配置していく。短い文章を書けば完成だ。11時、デザイナーのA氏にデータを送る。午前中は他に写真選び等。午後、S氏とI氏がやってきた。急な撮影2カット。さほど時間はかからなかった。終了後、撮影で残っていた牡蠣を食べる。意識が遠のきそうな味。だが、これでもう半日働けそうな気持ちになった。後半は「北海道 来たるべき未来を見つめて」に取りかかる。選んだ写真を配置し、全体の見え方を確認。続いて取材の音声データを聞きながら、重要な事柄をノートに書き出していく。これが完了すれば、原稿を書き始めることができる。あとは書くだけ、という状態となったところで仕事を終了する。

牡蠣歴

とにかくあとは書きまくるだけ……。そんな状況なので、今朝は牡蠣について書きましょう。一昨日、牡蠣の原稿を書いていて思ったのですが、僕の牡蠣に対する思いはたったの1ページではとても書けるものではありません。
 僕が牡蠣と出合ったのは社会人になってから。もしかすると、子供の頃にも食べたことがあったかもしれません。しかし、それは鍋料理の中に牡蠣が入っていた……というレベルでしょう。生牡蠣を食べたのは20代半ばのこと。ずいぶん遅い牡蠣デビューでした。
 その遅れを取り戻すかのように、僕は精力的に牡蠣を食べるようになりました。素晴らしいことに、東京・西荻窪にあった事務所から50メートルも離れていない場所に「吟雪」という居酒屋があり、そこのメニューには生牡蠣があったのです。産地は覚えていません。その頃は生牡蠣というだけで喜んで食べていた。毎日のように通っていたこともありました。
 あまりに頻繁に生牡蠣を注文するものだから、あるとき店長から牡蠣ナイフをプレゼントされました。「魚屋さんで牡蠣を買って自分でむいて食べたほうが安上がりだよ」。もちろん、それでも僕らは通い続けましたが……。使い込まれた牡蠣ナイフを、僕は今でも愛用しています。ちなみに吟雪は武蔵村山にあった地酒。今は廃業してしまったようです。
 これまでの人生の中でもっとも生牡蠣を食べていた時期。それは1990年代の10年間でしょう。居酒屋に入ると、まず日本酒の銘柄をチェックし、それから生牡蠣を探す。当時、東京で食べる牡蠣といえば広島か三陸のどちらかだったと記憶しています。牡蠣は「R」の付く月に食べると言われていましたから、4ヵ月くらいは食べずに我慢していたはず。年中いつでも生牡蠣が食べられる厚岸の牡蠣を知ったときには感動しましたね。
 海外旅行でも牡蠣は僕にとって中心テーマでした。最大の目的はもちろん「撮影」ですが、市場や飲食店へ行くと牡蠣を探している自分がいました。バンクーバーのグランビルアイランドの市場では、その場で牡蠣をむいてくれる店がありました。僕らが注文すると、なぜかメキシコ人旅行者(たぶん)も牡蠣を注文。何となくお互いライバル心を燃やしながら牡蠣を食べまくることとなりました。店の人は、きっと汗をかきながら牡蠣をむいていたに違いありません。
 質の高い牡蠣を生産するオーストラリアでは、ビックリするようなことがありました。西オーストラリアのピンナクルスの近くの上品なレストランで牡蠣を注文。素晴らしく形の整ったシングルシードの牡蠣が出てきました(当時はシングルシードという言葉は知りませんでしたが)。きれいに盛り付けられた皿の真ん中には赤い物体が……。なんとケチャップが盛られていたのです。添えられていただけでよかった。
 ニューヨークのオイスターバーでもちょっと「事件」がありましたが、話が長くなるのでやめておきましょう。

牡蠣の記憶増幅作用

39歳のとき帯広にUターンし、僕は道産の牡蠣が食べられるという、ちょっとした期待感を抱いていました。しかし、その頃は生牡蠣を食べられる店が非常に少なく、大いに落胆したことを覚えています。焼き牡蠣、蒸し牡蠣、牡蠣鍋が多かったのです。厚岸の牡蠣まつりに行っても、焼き牡蠣が多かったですね。生で食べる人が少ないのだろうか?
 その後、帯広でも次第に生牡蠣の食べられる店が増えていったような気がします。牡蠣鍋もいいなと思うことがありますが、それはものすごく冷え込んだ日だけ。僕は年中、生牡蠣を求めている。生牡蠣、できれば「カキえもん」を口の中に滑り込ませて、しばらくその余韻を楽しんでから、ゆっくりとお酒を流し込みたい。厚岸の牡蠣なら、やはり福司でしょうね。あるいは厚岸ウイスキー。
 原稿作成の合間に牡蠣をつまみ食いをしているようではいけないな。ちゃんと姿勢を正して、生牡蠣を味わうようでなければ。そんな目的も兼ねて、久しぶりに西オーストラリアの牡蠣を味わってみようと計画中です。もう20年以上訪ねていない。相変わらず、ケチャップ付きなのだろうか……。このあたりも、興味深いところ。
 不思議なことに、牡蠣に関連する出来事はディテールに至るまで鮮明に記憶しています。牡蠣を食べているときに、誰がどんな話をしたのかとか、食べ競ったメキシコ人の風貌とか、XLサイズの牡蠣を食べすぎて腹痛を起こしたM君の表情であるとか……。
 人並み外れた忘却力を持っている僕ですが、牡蠣は記憶力を増幅してくれる役割を果たしているのかもしれません。極めつきにおいしい食べ物があると、味や香りだけではなく、前後の出来事まで長期記憶として保存される。
 そう考えると、一生覚えておきたいと思うような記念すべき出来事には、生牡蠣が必需品ということになりますね。記念日とか、思い出深い旅は牡蠣と一緒に覚えておきたい。僕の場合は牡蠣ですが、おそらく誰もが何かひとつ大切な食べ物を持っているに違いありません。豊かな人生を象徴するような食べ物。それがあると、何があっても大丈夫であるような気がします。

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