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写真家的業務改善行動17 タイピング速度

写真家的業務改善行動17 タイピング速度

おはようございます。
 朝、少しゆっくりしてしまった。出遅れた上、原稿執筆のペースがなかなか上がらない。ともかく、資料をパソコンのまわりに貼り付けていく。ペースの上がらない理由のひとつは、ノートに書かれている自分の文字が判読しにくいことだった。このため、なかなか頭に入ってこない。午後に入り、少しずつスピードが上がっていく。4時頃から尻上がりに速くなり、最後はキーボードを打つ速度が原稿執筆の速度となった。5時頃ひとまず終了。とかちむらで買い物。おお、ここだったのか。H社の冷凍餃子が売られていた。ずっと探していたのだった。

文章化速度とタイピング速度のギャップ

僕の仕事のスピードには大きなムラがあります。速いときと遅いときとの落差が大きい。もう少し安定した速度なら、計算が立てやすいのですが、そう簡単にはいきません。20年くらい前までは比較的安定していました。それは仕事の中身が同じようなものだったからでしょう。今は同じスロウの記事であっても、一つひとつがまったく異なる。自分の考え方も、記事の中で伝えるようにしていますから、自分としての考えをまとめたり、検討するための時間も必要となる。必然的に書き始めのスピードが遅く、中盤以降にスピードが上がっていく傾向にあります。
 社内報など、自分の考え100%で書くような原稿の場合、超ハイスピードで書き終えることも不可能ではありません。超ハイスピードとは、タイピングの速度=原稿執筆速度ということ。ただ、僕のキーボードを打つ速度は1990年頃に比べると半分以下に低下しています。ものすごく速く打つと、入力ミスが多くなりすぎて、かえってスピードが落ちる。ここが悩ましいところです。
 なぜ、1990年頃が最高に速かったのか? なぜ、今が遅いのか? それには理由があります。
 僕は1985年か86年に初めてワープロを購入し、87年頃から本格的に仕事で使うようになりました。ブラインドタッチを覚えるのはまったく苦ではありませんでした。というよりも、最初からブラインドタッチをマスターしていた。中学生の頃、なぜか自分専用のタイプライターを持っていたんですね。丸善のタイプライター。実家のどこかにまだあるのかな? これを使って、海外の文通相手に手紙を書いていました。
 それはともかく、ブラインドタッチは中学時代にほぼ身につけていた。だから、ワープロ時代がやってきたとき、「自分の時代が来た」と思ったのです。ただ、原稿を書くためには、脳みそのほうがまだ追いついていなかった。超高速でタイピングできるのに、頭の中での文章化がボトルネックとなっている。1990年頃までそういう時代が続くことになりました。
 正確に何年だったのか忘れましたが、東京で営んでいた会社、当時は全員で4名でしたが、みんなで海外社員旅行へ行くこととなりました。候補にあがったのは、西サモアとかクリスマス島だったかな……。ただ、飛行機の便数が少なかったことと、何かのテレビでカニの大移動を見て、「こんな場所には行けない」という話になった。結局、初の海外社員旅行はバリ島と決まりました。そして、ここで事故が起こるのです。

問題は指かキーボードか

バリ島に到着したのが深夜。ものすごく蒸し暑い。シャワーを浴びてから一眠りしようということになり、それぞれ部屋に分かれたのですが、「石鹸がひとつしかない」という話になったんですね。石鹸くらい各自用意しろよ……と内心思ったが、まあ仕方ありません。ひとつの石鹸を半分にしよう。夜に弱い僕はもうろうとした頭でそう考え、取り出したのがカッターだったのです。恐ろしいことに、手のひらの上に石鹸を乗せ、その後、案の定恐ろしいことが起こった……。
 その後は地元の診療所に連れて行かれ、手のひらを縫うことになったのです。僕は案外冷静で、英語でもソーイングって言うんだ……などとぼんやり考えていました。ホテルで大騒ぎとなったため、次の日からはちょっとした有名人になっていた。ただ、包帯を巻いた状態で写真を撮るのは大変。シャワーを浴びるのはもっと大変でした。
 帰国後も大変。当時運転していたのはマニュアル車でした。クラッチを踏んで、右手でシフトレバーを操作する。まあ、慣れると何でもないことですが。そして、いよいよ抜糸の日。西荻窪の病院で医師が言うのです。「みんな見ろ、こんな糸が使われているぞ」。バリの診療所で使われていた糸はずいぶん時代がかったもののようでした。
 それでも、これから平常の生活に戻ると喜んでいたのですが、何かがおかしい。左手が妙にしびれるのです。そして、困ったことに左手の小指に力が入らない。ワープロにしろパソコンにしろ、左手の小指はけっこう使う機会が多い。小指のホームポジションは「A」。「高原淳」と入力する際には、5回も使うこととなる。小指の打ちにくさにつられて、僕のタイピング速度は3割くらい遅くなったような気がします。
 その後、僕の頭の中での文章化速度が次第に速まっていきました。文章化とタイピングとのバランスがとれてきた。これがたぶん1993年から95年あたり。1990年代後半はいいペースで原稿を書くことができていました。
 今はどうかというと、指の微妙な動きがうまくコントロールできていないような気がします。本当のところ、どうなのでしょう? 僕はキーボードの精度が低下しているのではないか、と疑うこともあります。というのも、ワープロ時代のキーボードのほうがはるかに打ちやすかったのです。このため、何度もキーボードを買い換えました。今は20年前の速度に少し戻りつつあるような気がします。問題は指なのかキーボードなのか。
 どうでもいいような話になってすみません。ただ、業務効率化にはタイピング速度が重要な要素であると僕は考えています。

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