
おはようございます。
午前9時40分来客。昼は帯広ロータリークラブ例会。出席するのは2ヵ月ぶりになるだろうか。水曜昼は予定が入りやすい。もう少し出席率を高めねばと思った。午後1時45分帰社。Y氏がすでに来社されていて、しばらく話した後、部屋探しに同行することとなった。帯広の不動産事情を少しだけ知ることができた。夕方、自宅で話の続きをする。夜は街中で夕食。ずいぶん賑わっている。地元食材率の高い店に入ることができた。空腹だったためか、最初にたくさん注文しすぎたようだ。僕も黄金期(?)に比べると食欲は1/3程度になっている。3人とも満腹状態となり、申し訳ないと思いつつ少し残してしまった。自分の胃袋力を客観視してオーダーしなければならない。
Think clearly
元スロウ編集者のN氏が在籍していた頃は、TNB(食べ物残すべからず)が機能していました。極限状態に達するまで全力で食べた。少なくとも、自分で注文したものを残すようなことはなかったと思います。今もそれが基本。ですが、昨夜のようなことがたまに起こります。僕自身、そして同席した人たちの胃袋力を過信してしまうことがある。
自分の胃袋力×人数。そう計算して料理を注文すると、かなり高い確率で痛い目に遭うこととなる。僕の食欲は往時の1/3とはいえ、それでも一般の人よりも多めのようなのです。
空腹時に居酒屋に入ると注文しすぎる。同様に、空腹時にスーパーへ買い物に行くと、不要なものまで買いすぎる。これはしょっちゅう経験することです。逆に、食後間もなく買い物に行くと、何を買ったらよいのかわからなくなることもありますね。これは自分の食欲に思考が支配されてしまっているからなのでしょう。
そのときの自分の体の状態、または心の状態にとらわれてしまうと、「自分が本来すべき行動」をとることができなくなってしまうことがあります。満腹時の買い物で必要なものを買い漏らす。この程度であれば、もう一度買い物に来ればよいわけですが、仕事であるとか、人生の重要な局面ではやり直しが利かないこともある。思考が体調や感情によって左右されてはいけない。できるだけ、平常心で物事を判断することが求められるわけです。
今僕が読んでいる本(複数の本を併読しているのですが)は実に示唆に富んでいます。「Think clearly シンク・クリアリー」(ロルフ・ドベリー著・サンマーク出版)。ここには「52の考え方」が示されているのですが、その11番目に「自分の感情に従うのはやめよう」という章がありました。僕としては「100%その通りだ」とは賛同できない。けれども、「確かに言えている」と思わずにはおられない鋭い指摘がありました。たとえば、このようなところです。
「あなたの『感情』をコンパス代わりにしてはいけない。あなたの心の中のコンパスにはたくさんの磁針がついていて、そのすべてが違う方向を指しながら、常に不安定にぐるぐる回りつづけている。あなたはそんなコンパスを持って、航海に出ようとするのだろうか?」(同書98ページから引用)
自分の心と距離を置く
著者は「自分の感情に疑いを持ち、感情から距離を置き、遊び心のある新しい関係を自分の心と築くべきだ」と述べています。このため、著者自身は感情を「自分のところに飛んできては去っていく鳥のようなもの」として扱っている。
すぐにはマスターできそうにありませんが、こうした捉え方ができたなら、ネガティブな感情に支配されることはないでしょう。「自分の心」と距離を置くわけですから、いつも涼しい顔でいられそうな気がします。
「『周りの人の感情』は常に真剣に受けとめるべきだが、『自分の感情』とは真面目に向き合う必要はない」(同書103ページ)。
実に明快に書かれています。なるほど。こうした考え方は自分の仕事や生活の質を高める上で、非常に役立ちそうな気がしますね。0.5秒後には180度変わってしまうかもしれない自分の感情に、自分の言動や行動が左右されてしまうのは非生産的だということでしょう。
僕もたまに混同してしまうのですが、「感情」と「感性」はできるだけ区別して考えることが重要ではないか、と考えています。感情に近い位置づけのものとして「気分」もありますね。感情とか気分によって行動すると、まったく一貫性のない働き方、生き方となってしまいます。
かといって、理性的、合理的な働き方、生き方がすべてというつもりは毛頭ありません。そもそも僕の生き方は理性的でも合理的でもない。自分が「心からやりたいこと」または「やるべきだと思って受け入れたこと」を選んだ結果、今に至っています。そこに合理的な計算はほとんど混じっていません。「感情」は少なからず混じり込んでいると思います。
理性的、合理的な生き方を目指しすぎると、失敗は少ないかもしれませんが、「働く喜び」や「仕事に対する使命感」といったものが感じられなくなってしまうような気がします。
一瞬の心の動きではなく、長期間ワクワクし続けられるようなもの、あるいはずっと問題意識を持ち続けているようなもの。そうしたテーマが自分の中にあれば、他人の目には非合理的に映ったとしても、自分の人生を懸ける価値があるのではないかと思います。変化しやすい自分の感情に従うわけにはいきませんが、長期間変わることのない自分の感性には従ってよい。僕はそう捉えており、実際にそのように生きてきました。
10数年前、感性論哲学を学んだときにも感じたことです。感情と感性を区別することで、自分の人生の質を高めることができる。この本に書かれていた「感情は鳥のようなもの」という考え方は、その有効な実践方法ではないかと思いました。
