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北海道の仕事と暮らし134 偶然の方向性

北海道の仕事と暮らし134 偶然の方向性

おはようございます。
 朝のうちに写真セレクト作業を終え、編集者に送る。9時半出発。11時35分、北広島着。Y氏の事務所兼住居へ。依頼していた商品の受け取りが訪問の目的。時間に余裕があったため、近況を話してから昼食へ。研修で一緒に学んだのは、16年くらい前になるだろうか。当時と今とでは、ずいぶん状況が異なる。複雑な思いが交叉した。
 北広島の次は千歳空港。15時10分の便で中部国際空港へ。やや遅れて到着。空港から名古屋までは遠く感じられた。7時頃、宿に到着。テレビでは「北海道に猛吹雪」という天気予報が報じられていた。1日早く出発してよかった。単に飛行機予約が取れなかったため前泊を決めたのだが、ラッキーだったと言える。

偶然か必然か

Y氏との再会もそうなのですが、このところ僕の身のまわりで「10数年ぶり」という出来事が数多く起こっています。そして、驚くべきことに、その大部分は2002年から2003年にかけて起こったことに類似している。先日、鮭とばを勢いよく食べていたら歯が欠けるというアクシデントに見舞われました。歯の欠けた場所と欠け具合がほとんど一緒なんですね。そして、2003年前と同じ方法で治療することになりました。
 この頃受講していた研修の中では「偶然はありません」という話が何度も出てきました。僕は写真を専門分野としていますから、「そんなはずはない」と思って講師の話を聞いていました。偶然はある。その偶然に意味づけを行っていくのが写真家のアプローチ法であるに違いない。そう考えていたのです。
 研修をいくつも受講していくうちに、僕の考えていることと「偶然はありません」という話との間に大きな隔たりはないのではないか、と思えるようになってきました。要は「偶然」という現象の捉え方というか、言葉の解釈の仕方にちょっとした違いがあるだけの話。偶然に思えるような出来事の中に意味を見いだす。偶然を単なる偶然として片付けないことが重要なのではないかと思います。
 「偶然はない」という場合、その後に続く言葉は「必然」です。偶然に思えるが、起こっているのはすべて必然。研修の中では学びをしっかり定着させるためにやや断定的な伝え方になるのでしょう。しかし、「すべてが必然」ということはありませんね。まったくの偶然であっても、あらゆる出来事に意味づけすることができる。そうした習慣を身につけると、偶然も必然であるかのように思えてくるということ。
 それが正しいのかどうかについて、述べるつもりはありません。けれども、偶然の中から意味を見いだし、何か必然的に導き出されてくる……と考えることは、決して無意味ではないでしょう。偶然の必然化。それを過度にやりすぎると、思い込みの激しい生き方となり、人生が妙な方向へ進んでしまうことにもなりそうです。ある程度の冷静さや客観性を保ちながら、偶然・必然のもつ推進力のようなものを活用するのがよいのではないか? 僕はそんなふうに考えています。
 僕は写真を撮り続けるうちに、自然とそのような考え方が身につくようになっていきました。写真の中にはまったく意図しないものが写り込むことがあります。一眼レフで撮影する場合、シャッター幕が開いている間はミラーがアップしていますから、ファインダーは真っ暗ということになります。写している瞬間を写真家は自分で見ることができない。カメラにすべてを委ねることで撮影は成り立っています。そして、自分の意図しない偶然によって、しばしば意図とは異なる写真ができあがる。人生にも企業経営にも、同じようなことが起こりうるのではないでしょうか?

写真的アプローチ

2002年から2003年にかけて、僕には(僕だけではありませんが)自己変革と大きなチャレンジが求められていました。誰に求められていたのか? それは社内の誰かからというわけではありません。自ら求めていたのかもしれませんし、目に見えない誰かから求められていたような気がしていたわけです。本当にそのような「気」になった。
 そんな「気」が感じられたのは、僕の場合、偶然の連続的な発生があったために他なりません。当時の偶然もその数年前に発生した偶然と連動していて、やはり僕には起こるべくして起こったと解釈したのです。僕はほとんどの物事を写真的に解釈するという癖があります。映像的に解釈するということではなく、偶然が発生するプロセスと偶然の意味するところを考えていくというのが僕にとっての写真的アプローチ法。そうすると、ある時期に集中して「意味ある偶然」が発生していることがわかります。
 ほとんど毎年のように集中的に発生する時期がやってくるのですが、今年はちょっと異常ですね。偶然の発生の仕方がすごい。数もその規模も。それが16~17年前と連動しているのですから、嫌でもその意味について考えさせられます。10数年前と今とではずいぶん状況が異なっています。ですから、同じように見える出来事でも、その意味には違いがある。
 それでいて現象面には非常に似通ったものがありますから、今起こっている出来事に対する有効な手立てやよい結果を生み出すヒントが隠されているのではないかと思っています。過去の出来事は単なる記憶ではなく、自分の採るべき選択に方向性を与えてくれるものなんですね。過去と同じ選択をすることもできるし、異なる方法を選ぶこともできる。同じ選択であっても、別なやり方で進めていくこともできるはずです。
 人類の歴史の中には「相似形」のようなものがたくさんあります。それは社史や自分史の中にもある。これからの人生においても、過去と似たような出来事が何度も訪れることになるでしょう。その際、過去の教訓が役に立ちますし、異なる選択をすることで違った道が開けてくる可能性もあるわけです。ユニークな解釈ができれば、ユニークな道が開けてくるに違いありません。

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