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写真論04 写真から学ぶ

写真論04 写真から学ぶ

おはようございます。
 朝礼の場で新入社員のYさんを紹介。全体朝礼、部門朝礼の後、我が社の価値観、社風、企業文化になじんでもらえるよう、1時間ほど面談を行った。11時帰宅。やるべき仕事が山積している。まずは写真セレクト作業から。午後2時、歯医者さんへ。またしても熟睡一歩手前。16年前を思い出した。2003年、僕は歯の治療中に睡眠不足を解消していた。その心地よさが忘れられないのか、いつも眠くなる。3時50分、いったん帰宅。4時半帰社。来客。ミーティング。僕の知らないプロジェクトが進行しているようだった。準備期間は思ったよりも短い。6時過ぎ帰宅。速攻で夕食と思ったが、M氏によるカレーづくりが進行中だった。他2品も同時進行。僕も参戦。カレーはトマトで味を調え、ほぼ完璧な出来映えとなった。

小さな予兆と変化

僕は写真からさまざまなことを学んでいます。「いい写真を撮るために学ぶ」のではなく、撮影から仕上げまでの一連のプロセスを通じて、気づくことがたくさんある。作品をつくるためというよりも、人生や企業経営のヒントを得るために撮影しているのではないか、と思うことがあります。
 そうなると、もはやカメラを持っているかどうかは、さほど重要ではないのかもしれません。頭の中で撮影する。それだけでも、目的の半分は果たすことができる。ただ、僕の業務上、そういうわけにはいきませんから、できるだけカメラを持ち歩いて、チャンスがあればシャッターを切らねばなりません。
 「撮らねば」という気持ちが強くなりすぎると、義務的な気持ちになって撮れなくなる。「撮影のチャンスを逃してしまった」と思うくらいが僕にはちょうどいいようです。そういうときは、瞬きでシャッターを切り、頭の中で現像・プリントを行っている。僕の頭の中には素晴らしい作品が大量にストックされています。
 写真を仕事にしているので、「いい写真を撮る」というのは大切なことであり、撮影の目的の半分を占めています。もう半分は、前述の通り「ヒントを得る」こと。そのヒントはどこに隠されているのかわかりません。いきなり目の前に現れることもあれば、小さな予兆の後に現れることもあります。小さな予兆は本当に些細な変化であるため、たぶん気づかずに見逃していることが多いのではないかと思います。ただ、ちょっとしたコツをつかむと、見つけやすくなるものです。
 著名な観光地へ行くと、ちょっとした変化に気づくことがあります。素晴らしい風景が広がっている。多くの人がカメラを向けている。けれども、僕自身はまったく写真を撮る気にはならない……。そんなことがときどき起こります。何かが違うと思って、観察すると数年前に訪れたときとは違ったものが存在している……。それは小さなゴミが散らばっていたり、風景を損なう構築物ができていたり、駐車場が有料になっていたり……といったようなこと。必要があっての変化もあるのですが、そうした変化の中には「場」としても魅力を半減させるものがある。それが気になりだすと、観光地ではなかなか撮影できなくなってしまいます。
 プラスの捉えると、「撮影できないのも撮影の一部」と言えるでしょう。そこにも学びがある。地域の魅力を高めるには「このようなものがあってはいけない」と気づくわけです。自分の写真に写ってほしくないものは何なのか。風景から排除すべきものを明らかにし、実際にその通りにすれば、観光地はもっと魅力的になっていくでしょう。

意味と解釈

逆に、何の変哲もない風景なのだけれど、カメラを向けてシャッターボタンを押したくなることがあるものです。この「何の変哲もない」というのは表面上のことであって、写真的なものの見方をすれば「どこかに違いがある」に違いありません。何が違っているのかわからないけれど、魅力的に思える。または興味を覚えてカメラを向けたくなる。シャッターを押した時点ではそれが何なのかわからない。撮影後に気づくこともあれば、数日後、数ヵ月後、数年後に気づくこともある。どこが違うのだろう。そう考え続ける。そこに写真のおもしろさがあるのではないかと思います。
 これは写真以外の業務でも感じることですし、企業経営においてもしょっちゅう起こること。同じような仕事なのに、ふだんとは何かが違っている。そこには、自分にとって何か特別な意味が含まれているのではないか。そう思ったことはないでしょうか?
 「特別な意味」はその場ではよくわからない。わからないながらも、いや、わからないからこそ、意味ありげな仕事に深入りしてみよう……。僕はそんなふうに意思決定することが多いようです。これは僕の性格というよりも、写真的アプローチを長年続けてきた結果と言えるでしょう。
 僕には「意味を知りたい」という欲求が強いようで、何10年たっても解明しようと思っていることがいくつかあります。正解と言えるものはなく、ただ自分が納得できる意味を知りたいということ。おかげで、いくつかは解明、納得することができました。このプロセスは僕に言わせれば、写真的アプローチに他なりません。
 目の前に存在する写真にほとんど変化はありません(銀塩写真なら退色等若干の変化があるでしょう)。しかし、30年前と今とでは「意味」がまったく違ったものになることがある。人生、あるいは企業経営における重要な意思決定も同様。そのときと10年後とでは意味が違ってくる。将棋でも疑問手と思われる一手が、その後妙手だったとわかることがあるでしょう。つまらないと思っていた写真が、10年後、自分にとって重要な作品となることもある。写真、人生、企業経営、すべてに当てはまるのではないでしょうか。
 自分の意思決定や行動が悪手か妙手か疑問手かは、リアルタイムにはわかりにくいものです。しかし、写真的視点から学べば、ある程度予測可能になるのではないか? まだまだわからないことが多いのですが、わかることも少しずつ増えてきたような気がします。

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