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写真論05 写真は人生の縮図

写真論05 写真は人生の縮図

おはようございます。
 朝起き上がってみると、疲労がたまっていることに気づいた。睡眠不足でもあった。半日だけ仕事をしようと思っていたが、完全休日に変更する。昼頃、買い物へ。某スーパーで偶然にもS氏、H氏と出会う。移住体験ツアーの真っ最中。僕らにとっては10回に一度しか来ないスーパーでの買い物。一方、移住ツアーの中でスーパーでの買い物時間はわずか15分だという。出会う確率は非常に低い。めずらしいことがあるものだ。帰宅後昼食。しばらくすると眠くなった。2時間くらい眠る。夕食への意欲は低下。果物とヨーグルトのみ食べる。

写真に写り込むもの

写真は人生の縮図。ふと、そんな言葉が頭に浮かびました。
 よくいわれるのは「一日は一生の縮図」ですね。教育者、哲学者の森信三氏の言葉。朝起きてから夜眠るまで。これが一生の縮図であるとすれば、昨日の僕は非常に意味の薄い一生を送ったということになる。まあ、そういう日もある……。そう軽く片付けてよいのかどうか? ともかく、今日は意味ある過ごし方をしようと思います。
 「写真は人生の縮図」と思ったのは、これとは少し異なる意味で浮かんだ言葉。意味ある写真と意味ある人生。両者の生み出されるプロセスには共通するものがあるのではないか? そう思ったのです。
 写真は選択の芸術。そういう言葉があったかどうかよくわかりませんが、一枚の写真作品が誕生するまでには幾多の「選択」が行われます。正しい選択と誤った選択があるわけではない。自分の心の動きに沿った選択かどうか。あるいは、熟考の末に選択したかどうか。自分が素直な心で選んだものが「正しい」のであって、最初から正解が存在するわけではありません。その時点での自分の心や偶然のもたらす作用によって、まったく違ったものを選び出す可能性もある。ここに、写真のおもしろさと不思議さと恐ろしさがある。僕はそんなふうに考えています。
 もう一方の人生のほうはどうか? 僕の考えではまったく同じものなんですね。人生も同様に無数の選択の結果として、今の自分がいるわけです。違った人生、違った生き方もできたわけですが、子供の頃から今日まで毎日意思決定してきた結果が「今」であるはず。
 自分以外の人物や出来事からの影響もあったかもしれませんが、選択したのは紛れもなく自分ということになります。特別な境遇にある人を除いて、自分の人生は自分の選択の結果に他なりません。そして、写真が誕生するまでの選択回数とは比較にならないほど、無数の選択が行われてきている。
 自分の素直な心の動きに沿った選択を行い撮影された写真。さらに、熟考の末に選んでいった一点(または数点)の写真。そこには自分の人生のすべてではないにしろ、自分の人生に通じる何かが写り込んでいるような気がします。30年前に撮った写真であれば、30年前の自分が写り込んでいる。昨日撮った写真であれば、今の自分に近い自分が写真の中に写り込んでいる。
 ここで言う「写り込む」とは、もちろん心霊写真的なものではありません。自分の心の動きや考えが被写体の一部に投影されているという意味。ただし、自分に対して素直な撮り方をしていないと、写真には何も写らない。僕にとって「写真が恐ろしい」という場合は、撮っても撮っても「何も写っていない」ようなとき。これは他人にはわからなくても、自分にはハッキリわかるものです。

素直な選択

写真が人生の縮図であるとするならば、常に素直な選択を心がけなければならないということになります。ところが、ときどき、あるいはしばしば選択の中に損得勘定が混じり込む。ここが僕にとってはちょっと難しいと感じるところ。経済活動を行っている以上、損得から逃れることはできにくい。完全に損得抜きで仕事を行っていたら、事業活動を継続することはできないでしょう。
 したがって、現実的な選択というものも求められる。これは決して不本意な選択ということではないような気がします。素直に現実的な選択ができる。これも生きていく上では欠かせないのではないかと思います。日々の暮らしを成り立たせることと、ビジョンに向かって成果を積み重ねていくこと。両者のバランスを考えねばなりません。
 撮影では常に現実の世界に対しレンズを向けることとなります。被写体が存在しないことには写真を撮ることはできない。しかし、人生、あるいは企業経営においては、現実にはまだ存在していないものに焦点を合わせようとすることがあります。ここが写真と人生とのちょっとした違いでしょうか?
 まだはっきりとは存在が示されていない物事に対して、何らかの仮説を立て、計画を作成し、意思決定する。どの企業でもそれを当たり前のように行っている。
 それは、現実に存在するものを素直な目で観察しているからできることなのでしょう。よく観察していなければ、仮説も計画も意思決定もできません。自分の意志で選択することはできず、常に自分以外の誰かから選択を迫られながら生きていくこととなる。ここが人生の、あるいは企業経営の厳しい一面といえるのではないかと思います。
 若い世代の人たちは人生100年時代ですから、健康に気をつければ80年くらい実働期間があると考えてよいでしょう。僕の場合は、それよりちょっと短くなるかもしれません。人生は短いとも言えるし、何かを成し遂げるには十分な時間でもある。
 そこでは選択の精度も重要なのですが、それよりももっと重要なことがあります。そもそも自分の意志で選択しているかどうか? たぶん、それが「素直」ということでしょう。現実を受け入れつつも現実には流されない。そんな強い意志を持つことで、写真にも人生にも意味が生まれてくるのではないでしょうか?

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