高原淳写真的業務日誌 > 仕事観について > 仕事観について44 人と食べ物は同じ

仕事観について44 人と食べ物は同じ

仕事観について44 人と食べ物は同じ

おはようございます。
 午前9時55分から市内某所で取材……のはずだったが、やむを得ぬ事情で延期となった。10時半帰宅。スロウの商品撮影。午後1時半、入社試験&面接。興味深い経歴と能力を持った方々が集まった。4時半頃いったん帰宅。細かい用事をいくつかこなす。6時40分、会社に戻り、そこからタクシー乗りあわせで忘年会会場へ。参加者は20人くらいだったかな? 今年最初に参加した忘年会は社内有志によるものだった。11月だが気温は真冬並み。僕は最初から熱燗。熱々の熱燗をリクエストした。話が弾み、おもしろい企画が浮上した。そして僕は少し飲み過ぎたようだ。

おいしく食べる

20年くらい前まで、僕は「気の合う仲間と一緒に仕事をするのが一番」と思っていました。社会人になって最初に勤めたのは、規模の大きな印刷会社のクリエイティブ部門。しかし、「組織にはなじめない」という気持ちとともに1年で退社。その後、小さな会社にも勤めましたが、半年しか続かない。以来、会社勤めをするのはあきらめました。M氏と一緒に仕事をするようになり、やがて法人化。数名の気の合う仲間と仕事をする。そんな日々が続くこととなりました。
 これで一生仕事を続けることができたなら、それは間違いなく幸せな仕事人生と言えるのではないかと思います。ただ、僕らの場合はさすがに一生続くということにはなりませんでしたね。仕事の中身も大きく変わっていったし、メンバーも入れ替わっていった。僕自身も30代後半になった頃から、仕事仲間との年齢差や価値観の違いを感じるようになっていきました。
 人生最大の転換点は、40歳目前というときにソーゴー印刷に入社したことでした。最初に思ったのは「ずいぶん人が多いな」ということ。きっと、気の合う人と合わない人がいるに違いない……。当たり前ですね。70人近い人がいて、すべての人と気が合うという組織があったとしたら、ちょっと不気味な感じがします。気の合う人、合わない人がバランスよく混じっているのが組織というものでしょう。
 そんな当たり前の事実に今さらのように気づき、僕は「自分を変えていかなければならない」と思うようになりました。普通なら、社会人になってすぐ、または数年で気づくこと。僕が人生中盤になって気づくこととなったのには、何か意味があるのだろうか? 当時の僕にはそんなことを考える余裕はなく、気の合わない人との接し方や組織へのなじみ方について悩んでいました。まあ、今でも得意とは言えませんね。人間関係づくりの上手な人を見ると、すごいと思ってしまいます。
 今も「ちゃんと変わった」というわけではないのですが、どこかの時点から、僕の中で仕事観や人間観が変化していくこととなりました。たぶん、2002年か2003年あたり。まわりの人に対して、嫌いとか苦手といったことを考えるのはやめよう……。少しずつ、そんな気持ちになっていったのです。
 あるとき、「人と食べ物は同じだ」と思うようになりました。
 僕の持論は(「論」というほどのものではないのですが)、「おいしいものを食べるよりも、おいしく食べることのほうが大切」というもの。暗い気持ちで食べるTボーンステーキよりも、楽しい気持ちで食べる牛丼のほうがはるかにうまい。きっと、誰もが経験していることでしょう。

合わせる

気の合う人とだけ一緒に仕事をするよりも、気を合わせながら一緒に働くほうがきっと楽しいに違いありません。この場合は「楽しい」よりも「愉しい」のほうが近いかな? 後者のほうが自分の成長につながりやすく、達成感や充実感がより得られるのではないか? さまざまなケースがあるでしょうが、僕にはそう思えます。
 この「合わせる」が社会人にとって非常に重要な能力ではないか、と考えることがあります。合わせすぎるとストレスがたまって健康を害してしまうかもしれませんが、合わせなさすぎると「困った人」になってしまいます。適度に合わせる。この合わせ方によって、チームワークが強固になっていったり、異なるアイデアが融合してユニークな商品が生まれることになるのではなかろうか? 
 同じ考えの人だけ集まっても、おもしろい商品にはなりにくい。同じ考え方の人だけ集まった組織は、案外もろいのではないかと思います。
 考え方が違っていたり、性格が正反対だったり、気が合わなかったり、ちょっと好きになれそうにない……みたいな人が適度に混じっている組織のほうが健全であるはず。その中で相手に合わせたり、平和的な形で意見を戦わせながら成長していく。そういう組織が僕の理想とするところ。
 食べ物に例えれば、口に入れた瞬間「おいしい!」と叫ぶことで、さほどおいしくないものでもおいしくなる。だから、僕の料理に対する評価は3段階しかありません。「おいしい」「超おいしい」「超ウルトラおいしい」の3つ。食べ物の記事を書くときは、このままでは文章になりませんから、「太古の記憶がよみがえる……」みたいな書き方になってしまうことがあります。
 それはさておき、これを人に当てはめると「あっ、この人おもしろい」と心の中で叫べばよいということになります。おもしろい、ユニーク、楽しいといった言葉を脳にインプットしながら接するうちに、実際におもしろいと思えるようになることがある。
 ただ、人間は複雑なもの。食べて消化しておしまい……とはなりません。哲学的解釈も必要です。自分が苦手意識を感じるような人は、自分を成長させるために現れるのだ。そうした観点から、敬意を払う必要があるでしょう。自分を成長させるために、わざわざ自分の前にやってきてくれた人なのです。「おいしい」のひと言で片付けてはいけない。「いと、おいしい」。さらには「いとおしい」というレベルにまで高める必要がありますね。
 ちなみに、昨日の忘年会ではさほど哲学的に考えることはなく、20数年前に戻ったかのような仲間意識を感じる時間でした。

〒080-0046 北海道帯広市西16条北1丁目25
TEL.0155-34-1281 FAX.0155-34-1287

高原淳写真的業務日誌