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第11話 偶然から意味を見いだす

第11話 偶然から意味を見いだす

「偶間」( 1993年、Gallery・DOT) (c) Atsushi Takahara

おはようございます。
 午後1時から帯広畜産大学の合同企業説明会。後半は中小企業家同友会とかち支部幹事会。今抱えている仕事ができたのは2時間ちょっと。もう少し作業時間を確保したいところ。リミットが迫っています。
 社長という立場はおもしろいもので、自分の選択次第で時間をどのようにでも使うことができる。その気になればいくらでも勉強できますし、遊ぶこともできる。そして、もちろん仕事もできる。僕は勉強と仕事に比重を置いていますから、あとは「どの程度やるか」が問題となります。社長の場合、ほどほどという選択をするのが若干難しい。僕が未熟だからかもしれません。とことんのめり込むことになりやすい。
 そこへ、さらに偶然、または偶発的な出来事が舞い込むことになります。偶然によって、僕らはハッピーになることもあれば、困った状況へ追い込まれることもある。これは社長に限らず、誰の身にも起こること。したがって、偶然をどのように捉えるかは、人生にとって非常に重要なスキルといえるのではないかと思います。

些細な偶然に気づく

写真というものは、まさに偶然の産物といえるでしょう。
 僕がいつもすごいと思うのは、「その場に居合わせる」という偶然。もちろん、自分の意思で行動しているわけですから、偶然とはいえないのかもしれません。けれども、何ら確証を持ってやってきたわけではないのに、素晴らしい風景に出合うということがあるものです。
 風景写真に関して言えば、「その場へ足を運ばなければ写真を撮ることはできない」わけです。至極当たり前の話。最近、僕は帯広市内から外へ足を運んでいませんから、まったく写真が撮れていない。自宅の窓越しに高く積もった雪を撮影した程度。
 その場に居合わせる。居合わせなければ、どんなに卓越した撮影技術を持った人でも写真を撮ることはできません。写真作品が存在するということは、写真家がその場に居合わせたという確かな証拠でもあります。
 足を運び、風景の中から何かを感じ取って撮影する。そうした活動をただひたすら続けていくと、そこに偶然がやってくることになります。すごい偶然かちょっとした偶然かは、この際問題ではありません。写真家が「偶然」と感じられるかどうか? ここが重要です。
 僕の場合、すごい偶然よりも「気づくかどうかの些細な偶然」のほうが興味深いと思っています。誰も偶然だとは思っていないようなもの。
 些細な偶然ですから、発生する頻度は大きな偶然よりも断然多い。ここがおもしろいところです。その気になれば、一日のうちで何度か偶然に遭遇する。僕は偶然を発見する力を高めれば、人生は豊かなものになっていくのではないかと考えています。

僕の考える「些細な偶然」とは、上の写真のようなものです。
 崩れかけた壁と手前の車。奥には教会らしき建物。僕はこれだけの被写体でシャッターを切ろうと思っていました。しかし、「何かがやってくる!」と確信のようなものを感じたのです。そして少しだけ待った。すると、案の定、通りを歩く人が車の窓越しに見え、瞬間的にシャッターを押したわけです。どうでしょう? 実に些細な偶然ですね。
 即物的なものの見方をする人なら、「それがどうした?」と言われてしまいそうです。でも、僕にとってこの写真には「窓越しに見えるうつむき加減に歩く親子」が必要だったのです。崩れかけた壁、車、教会、そして親子。その関係性に秩序のようなものを発見したわけです。
 こうした偶然は不意にやってくることもあれば、前兆を感じることもあります。僕の場合は「不意」に対応できるほどの俊敏性はありません。だから、僕に一番不向きかのは動物写真とかスポーツ写真。僕はもっぱら、「これから何か起こりそう」という予感を頼りに撮影しています。
 心がけているのは、自分の中で「作為的な気持ち」が芽生えてこないようにすることです。偶然はあくまでも偶然ですから、撮影者が偶然を操作するようなことがあってはならない。どうしても作為的気持ちが捨て去れないときは、その場から離れるか、撮影を中断することになります。純粋に偶然を待つ。または偶然に依存しない写真を撮る。そのどちらかですね。

偶然には何か意味があるのではないか? そのことはしょっちゅう考えています。僕の現時点での結論は、「意味は必ずある」というもの。けれども、起こった偶然の意味は何なのかについて、その場で理解できるケースは非常に少ない。たいていの場合、もやもやした気持ちを抱えながら撮影を終えることになります。写真を仕上げてももやもや、額装してももやもやしたまま。撮影後、20年くらいたってから少しだけわかってくるという作品もあります。
 僕らの人生もそんなようなものではないでしょうか? 自分の意志とは無関係に起こった偶然。そこから急展開し、不思議な場所へ導かれていくことが人生では起こりうる。だからといって、人生は風まかせと言うつもりはありません。自分では気づいていない無意識レベルでの意志というものがあって、それが偶然という現象を起こしているのではないか? 僕にはそう思えてならないのです。
 自分の潜在的な欲求、あるいは意志が、些細な出来事を「偶然」だと思い込ませる。そして、その場に居合わせた人の大半にとってどうでもよい出来事が、自分にとっては人生を変える一大事になる……。そんな経験をしたことのある人もきっと多いに違いありません。
 写真作品には多くの偶然が写り込んでいます。そうした作品を数多く鑑賞することによって、日常の中から「偶然を発見する力」が自然と高まっていくことになるはずです。これが写真鑑賞力を高めることで得られる最大のメリットかもしれません。と同時に、「偶然の中から意味を見いだす力」も少しずつ備わっていくことになるでしょう。

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