おはようございます。
フレックスというわけではないが、午前10時に出社した。前日の運転疲れはさほど残っていなかった。10時半、来客。取材を受ける。ここ数年の我が社の動きはちょっと説明しにくいところがある。頭の中を整理しながら話す。背景と基本的考え方をわかってもらえれば御の字だ。午後は自宅で畜大就活セミナーの準備をする。3時帰社。来客。東京と札幌から。ひとりは高校時代の同級生。世間話というわけではなく、ビジネスにつながりそうな話。話は2時間に及び、さらに食事をしながら8時頃までアイデアを出し合う。8時半帰宅。
引退後の仕事
人生100年時代。僕らの年代では100歳というわけにはいかないかもしれません。けれども、60歳か65歳で定年退職し、その後仕事をせずに趣味に興じながら老後を過ごす……というのは、僕には考えにくいですね。何らかの経済活動、または社会的意義のあるような活動を続けたいという思いが強い。健康であれば、体の動く限り仕事を続けるでしょうし、仕事を続けられるよう健康であらねばなりません。
企業経営者の場合、どのあたりで第一線を退くのがよいのか? その年代に近づきつつある経営者は、誰もが考えていることでしょう。僕は11年前から考えていたのですが、行動が十分伴っていなかった。このため、最初に思い描いていたタイミングよりも、少し後ろにずれそうな気配です。
たぶん、我が社の創業者(父)も同じだったのではないか、と想像しています。本当はもっと早く後継者に譲りたかったはず。結局、現役のまま他界。引退後の人生を思い描いていたのかどうか。僕には知るよしもありません。
企業経営には変化に対応する能力と意思決定力が求められます。個人差もあるでしょうが、どこかで自分の衰えを感じることになるはず。自覚症状が出始める前に後継者に譲り、自分はもっと自己完結型の仕事に専念するのが望ましいと思います。
僕の場合は、やはり写真ですね。そして、執筆活動。個展や出版を通じて、何らかの形で社会に役立てればよい。写真を撮る。原稿を書く。個展を開催する。出版物を出す。これって、20代の頃に描いていた、僕の理想とする働き方そのもの。他に多くを望んでいるわけではありません。
20代の頃は「写真で生計を立てねば」という思いが強かった。生活しなければなりませんから、当然、収入があるかどうかは重要です。生計を立てるために、さほど重要とは思わない仕事でもこなしていくこととなる。つまり、重要なのは「仕事そのもの」ではなく、「自分の生活を維持すること」だったのです。
40代からはソーゴー印刷社長という立場になり、「自社を成長させること」が何よりも重要な役割となりました。「自分」というものをいったん脇に置いて、無茶な働き方をしたこともありましたし、会社のためによいと思ったことは何でもやってみようと思うようになった(思い通りにはなっていませんが)。「仕事そのもの」を重視しつつも、「重要度の低い活動」が増えてしまった感があります。これはやむを得ないことでしょう。
ライフワーク
一個人に戻ったとき、自分には何ができるのだろう? 昨日はそんなことをイメージしていました。そして、次の瞬間、スロウの僕の連載記事「北海道 来たるべき未来を見つめて」の取材テーマが定まりました。まさにうってつけと思える人物を取材できることになったのです。
生産年齢人口という言葉をよく耳にします。これは15歳以上65歳未満の人口のこと。いずれ65歳ではなく、70歳とか75歳になるのかもしれませんが、この「生産年齢」という言葉は意味をなさなくなってくるのではなかろうか?
会社組織においては、ある程度若い人のほうが活躍しやすい。スピードや効率性という企業の求める能力を備えている。同じ仕事をするのでも、30代の僕と50代の僕とでは、ずいぶんスピード感が違う。これは撮影の仕事をしていて常に感じていることです。原稿執筆のほうはさほど衰えを感じていませんが、撮影スピードは明らかに低下している。
会社組織から離れ、一個人として活動するようになったとき、自分の仕事力はどうなっているのだろう? 僕はそうした人を何人か注意深く見てきました。個人差はあるものの、むしろ仕事力、付加価値力が高まっている人が多いような気がします。しがらみから自由になったからかもしれませんし、自分の好きなことに集中できる立場になったからかもしれません。
もちろん、そのような働き方ができる人には相応の理由があります。自分のライフワークや一生のうちに成し遂げたいことを明確に持っているということ。やりたいことが不明確なのに、やりたいことに集中できるはずはありません。人生ビジョンがあるからこそ、一個人に戻ったとき「待ってました!」と言えるのだと思います。僕もそのような準備を整えて、一個人に戻る日を心待ちにするようになっていくでしょう。
今は、まだまだ「自社の成長がすべて」という状況にあります。会社組織に所属するこということは、社長であれ、新入社員であれ、程度の差はあるものの窮屈さを感じるものです。窮屈であるのに、同時に居心地のよさも感じている……。そんな矛盾を抱えながら「来たるべき日」に備えるというのが、勤め人の生き方なのではないでしょうか? ちゃんと備えている人は、現役と呼ばれる間に意味ある仕事をいくつも成し遂げるものです。
「来たるべき日」のために、会社の資源を最大限活用して自分を成長させる(併せて自社の成長にも貢献する)。そんな人が幸せな「一個人としての仕事人生」を送ることのできる人であるに違いありません。
取材日は来週末に決まりました。どんな話が聴けるのか、とても楽しみになってきました。