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第12話 相似形を見つけイメージを広げる

第12話 相似形を見つけイメージを広げる

「偶間」( 1993年、Gallery・DOT) (c) Atsushi Takahara

おはようございます。
 いつもとは異なる3月の過ごし方。今週末まで新入社員研修が続きます。研修の中身も例年とは異なったスタイル。このような内容で進めてよいのだろうか? 部分的ではあるけれども、深入りしすぎているような気もします。
 夕方、札幌で行われる新入社員研修のために宿を手配。もっと早く予約すればよいのについ忘れてしまいます。僕の研ぎ澄まされた忘却力(?)は相変わらず。結局、宿泊場所は二手に分かれることになりました。まあ、泊まるところがあってよかった……。こちらのほうは、毎年似たようなパターンを繰り返しています。
 というわけで、今回は写真を鑑賞する手がかりとして、「相似形」について考えていきたいと思います。

具体的相似形と内面的相似形

相似形。辞書には「互いに相似の関係にある図形」と書かれています。ずいぶん素っ気ない説明ですね。さらに、「相似」を調べてみると、「形・性質などが写したようによく似ていること」とあります。ずいぶん僕のイメージに近づいてきました。
 形、性質、出来事、現れ方……といったものが似ている。そう感じることがときどき起こるものです。僕には毎日のようにそれが起こる。「このパターン、過去にもあったな……」。そう気づくと、今起こっている現象のその後の展開をある程度予測することができるわけです。予測通りになることも、ならないこともあります。けれども、予測することができれば対処の仕方を考えることができる。たいていの人は、自分の過去の記憶と照合しながら、今の出来事に対する対処法を考え行動していることでしょう。
 誰もが相似形を意識しながらイメージを広げたり、次の行動を考えたりしているわけです。これはたぶん人間だけが持っている特性といえるのではないでしょうか? 人間以外の動物にもそうしたイメージ力があるのだろうか? そのあたりは僕にはわかりません。
 似たものを見つけ、そこから思考を展開していく。人間であれば、子どもの頃から繰り返し体験していきます。
 子どもの場合は、「ソフトクリームみたいな雲」といった具合に、自分の好きなものと似た形を発見していくことが多い。大人になると、形状が似ているものであっても、少し凝った相似形を見つけようとします。
 「鯛中鯛(たいちゅうのたい)」というのをご存知でしょうか? 北海道に住んでいると鯛を食べることは滅多にないので、知らない方も多いかもしれません。確か大阪に住んでいる頃だったと思うのですが、鯛の煮付けを食べているとき、「これが鯛中鯛なんだよ」と教えてもらった記憶があります。鯛の中に鯛の形に似た骨があるのです。
 「めでたい鯛の中にあるさらにめでたい形」として、江戸時代から縁起物とされてきたそうです。

こうした相似形を僕らは日常のさまざまな場面で発見することができます。風景を撮影していると、しょっちゅうそうした体験をするものです。落ち葉をしげしげと見つめていると、葉脈が木の形そっくりであることに気づくでしょう。
 部分が全体と相似形にある場合もありますし、まったく異質なものから相似形を発見することも多いもの。たとえば、木肌の模様を興味深く観察していると、そこに人や動物の顔のような形を発見することがあります。「顔に見える」というのは、誰もが体験しているに違いありません。たとえば、自動車を正面から見ると顔に見えますよね。最近はちょっと恐い顔をした車が多いと感じるのは僕だけでしょうか?
 僕の想像ですが、ほとんどの写真家は相似形を意識しながら撮影しているはずです。形状の相似形、色の相似形、質感の相似形、背景の相似形、メッセージの相似形……。いろいろ考えられそうです。
 そうした相似形を一枚の写真に写し込む場合もありますし、複数の写真で表現することもあります。あるいは、写真以外のものと対比させながら見る人に暗示を与えることもあるでしょう。そうした相似表現を的確にキャッチできたならば、写真を見る愉しみは格段に増していくのではないかと思います。
 著名な写真家の名作を題材に相似形や相似表現について解説してみたいところですが、うっかり写真を掲載すると著作権侵害の恐れがあります。ここでは言葉だけでお伝えししょう。
 僕の一番好きな相似形はアンドレ・ケルテスの「おどけたダンサー」(1926年)かな……。画面左の彫刻との相似形が興味深い。同じく、ケルテスの「メランコリー・チューリップ」(1939年)も一種の相似形といえるでしょう。写真家として不遇な一時期に作られた作品。内面との相似形ですね。
 内面との相似といえば、エド・ファン・デア・エルスケンの「セーヌ左岸の恋」。最も印象的な一枚は、腐食した鏡に顔を映した女性(アン)の写真。オリジナルプリントはギャラリーDOT(京都)にあります。拡大解釈かもしれませんが、僕はこれも相似形の一種と捉えています。撮影者と被写体(モデル)の心の様相も相似形になる場合があります。さらに、写真を見る人の心もそこに重ね合わせていくと、作品はより味わい深いものとなる。
 絵画と写真相似形もあります。石本泰博の「桂離宮」(1953-54)の造形美には息をのむほどの美しさがあります。その中にピエト・モンドリアンの「コンポジション」に通じるような造形を発見します。建築、写真、絵画。異なる3つの表現に見られる相似形。こういう対比は実におもしろいですね。

写真というものは、現実の世界を映しながらも、見る人のイメージの世界とつながっているわけです。写真鑑賞力を高めていけば、自分の思考やイメージを広げていくことができる。相似形はその中でももっとも強力な、イメージを広げてくれる要素といえるのではないでしょうか。
 一枚の写真から相似形を発見するには、先入観にとらわれず自由な心で作品と対峙することが大切といえるでしょう。何か感じるものがあれば、自分の過去の視覚体験と照合してみることです。ぼんやり感じているものの輪郭が少しずつハッキリしてくる……。そんな感覚をぜひ多くの方々に体験していただきたいと思います。

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