おはようございます。
午前9時半から自宅で商品撮影。ずいぶんカット数があるように感じられた。単に僕の撮影スピードが落ちているだけか? 何とか午前中に終了する。午後は1件用事を済ませてから出社。3時役員会。4時過ぎ、帯広畜産大学へ。毎年行っている就活セミナー。1月にも開催されているから、今年2度目となる。テーマは「伝わるコミュニケーション」。例によって、僕にはまったく不向きなテーマなのだが、どういうわけか、ここ数年はこのテーマを指定される。講義は約2時間。途中で実習が3つ。毎年、参加者のコミュニケーション力の高さに感心させられる。6時半終了。7時帰宅。
AIが発達していくと……
ここ数年、毎回話していることのひとつに「ビジネス≒コミュニケーション」というものがあります。もちろん、完全に同じと言うことではありません。
コミュニケーションとは「言葉を通じて、自分の気持ちや意見を相手に伝えること」。ビジネスのほうは、「商品を通じて、自社の理念や考えを顧客に伝えること」。だいたい同じようなものと言ってよいのではないでしょうか。僕らは商品を通じて、お客様に何かを伝えようとしているのです。
従って、社会人に求められる能力はハッキリしています。ひとつは「職務遂行能力を持った人」。もうひとつは「コミュニケーション能力の高い人」なんですね。営業職や編集職の人であれば、職務遂行能力の中にコミュニケーション力が含まれるといってよいかもしれません。
どんな時代であっても、職務遂行能力とコミュニケーション能力は不可欠ではないかと思います。いくらコミュニケーション力があっても、フォトグラファーであれば、写真を撮る能力が高くなければなりません。編集者の場合、文章力がなければ使い物にならない。自分の職域に必要な技術を高め続ける。これは言うまでもないことです。
その一方で、時代が大きく変化していることを理解しておく必要があります。それは、これまで人間が行っていたことを機械やコンピュータが行うようになってきているということ。今後、製造部門の仕事はますます機械化や自動化、さらには無人工場化へと向かっていくことになるでしょう。製造以外の仕事に関しても、AIが発達していくことで消えていく職業があると言われています。
「今後10~20年の間に47%の仕事が機械に奪われる」(オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授)という話もあります。自分の持つ職務遂行能力が長期間の使用に耐えうるものなのか、考える必要があるかもしれません。その昔、「写植」という仕事が完全に消滅したとき、僕は衝撃を覚えました。写植で食べてきた人を知っているからです。その後どうしたのかわかりません。ひとつの能力を身につけるのは大変なこと。僕らは大変化の時代を生きている。そんな覚悟が必要です。
AIがいくら発達しても、たぶん僕らの生きている間に、人間のコミュニケーション力が廃れるようなことはないでしょう。部分的にはあるのかもしれませんが、人間的にコミュニケーションできるのは人間だけと考えてよい。ですから、企業としてはコミュニケーション力の高い人を採用したい、と考えているはずです。
リフレーミングと自己表現
コミュニケーション力を高めるにはさまざまな方法があると思います。昨日は6つほど項目を挙げて、それらについて解説と実習を行っていきました。ポイントは2つに集約できるのではないか、と僕は考えています。
「リフレーミング」と「思い切った自己表現」ですね。コミュニケーションに課題を感じている人が苦手としているのはこの2つ。本人はまったく気づいておらず、周囲の人が感じているというケースもあります。コミュニケーション力を高めるには、まず「自分で気づく」ことが第一歩かもしれません。
リフレーミングとは「従来のフレーム(ものの見方や捉え方)をはずして、違う枠組みで見ること」です。同じ被写体でも別な角度から撮影すると、まったく異なる印象を与えることができる。同様に、カメラを構えていないときであっても、さまざまなフレーミングを試みることが大切。ものの見方、捉え方を固定化させないということですね。これが自由自在にできる人とまったくできないという人がいる。ふだんはできていても、ある場面になるとまったくできなくなる、というケースもあるでしょう。なかなか一筋縄ではいきません。
もうひとつの「思い切った自己表現」。これも個人差が大きい。本当は可能思考研修を受講するなどして、自分の中にある自己規制のようなものを取り払えばよいのですが、そもそも自己表現が苦手な人は、そうした場所へ足を運ぶことに恐怖に近い感覚を持っています。社内でも自己表現力を高めるような研修をたまに行いますが、やり方はいたって理性的。社内研修の限界を感じるところです。
実際の仕事を通じて、自然に身につけていくという人もいます。これが本当は理想的なパターン。ただ、それができるのは社外の人と数多く接する職種の人でしょう。思い切った自己表現ができるという人は、社内でも一部の人に限られるかもしれません。
「思い切った」を「のびのびとした」に変えれば、全社員身につけられるような気もします。のびのびとした自己表現。社風や働きやすい職場環境という観点で言えば、これで十分といってもよいでしょう。
我が社は「対等な人間関係」の会社を目指していますから、変に自己規制することなくのびのびとしていることが望ましい。現状を異なる角度から見ることのできるリフレーミング力。そして、のびのびと自分を表現することのできる力。両方が備わっていれば、我が社には活躍の場があるのではないかと思います。