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仕事観について53 歴史から学ぶ

仕事観について53 歴史から学ぶ

おはようございます。
 朝は書き上げた原稿を読み返して微調整する。すんなりまとまったと思って、インデザインのフォーマットに流し込んでみた。すると……、何と文字数が少ない。確かめてみると、17000字書いたつもりが、15500字ほどだった。これはむしろ好都合。そう解釈し、1時間ほどかけて、書き足りない部分を補足する。本文は完成した。残りは年明けにしよう。11時頃から年賀状の宛名入力に着手する。まずは1時間半。午後2時頃出社。机まわりを片付ける。みんな入念に大掃除をしていた。
 僕の机の上にH社の記念誌の校正が置かれていた。出来映えが気になる。数ページ読んでみよう……と思ったら、あっという間にH社の歴史の世界に引き込まれてしまった。事実中心の抑制的な表現でありながら、あっという間に僕は50数年前の時代に心が飛んでいた。すごい時代、すごい社史だ。素晴らしい仕事だと思った。
 4時、終礼。今年の仕事納め。だが、僕には帰宅後もヘビー級の仕事が待ち受けていた。夕食後、再び年賀状宛名入力作業を行う。4時間か5時間でいったん入力を終える。完全はないが、今年できるのはここまで。出力作業に移る。これがやたら時間がかかる。たぶん3時間くらい。プリンタに1000枚くらいハガキをセットできれば、その間眠れるのだが。0時半頃、いったん出力を終える。最後は我が社の社員及び関係者分の宛名を一部修正してから出力。1時半頃、すべての作業が完了した。仕事というわけではないが、年内にすべきことはすべて終えたと思う。忘れているものがなければ……の話。

記念誌の魅力

それにしても、校正段階なのにこれほど夢中になって読ませる記念誌とはどういうことなのだろう? 僕はたぶん、クライアントよりも編集者よりも盛り上がるものを感じています。きっと、企業経営者なら必ず読みたい思うような本に仕上がるのではなかろうか?
 だから、記念誌という位置づけではあるのですが、これはある種のビジネス書といってよさそうです。それが関係者数名の証言を織り交ぜながら、壮大なストーリーとして展開されていく。
 よくぞここまで事実関係をまとめ上げていったものだ、と僕は感心というか感動しました。僕も何度かインタビューに立ち会って、原稿の一部は書いているのですが、あまりにも謎が多くて全体像を正確に把握できていません。社歴の長い会社はそういうもの……といった、あきらめのような気持ちすら湧いてきます。
 そもそも、自社の社歴ですら、僕には謎が多すぎてわからないのです。なのに、2年(3年だったかな?)に及ぶ粘り強い取材活動の結果、謎だらけだった社歴がちゃんと「物語」になっている。これはH社のベテラン社員やOBでも知らないことなのではないか? そんな歴史的事実やエピソードが盛り込まれている。
 歴史家が文献や実地調査を行いながら、事実を解明していくのに近いのかもしれません。僕にはそこまでの根気強さはない。今回は、一読者として楽しませてもらっています。もっとも、「楽しむ」という言葉は似つかわしくない歴史。独特の仕事観、並外れた意思決定力、そして宿命的、運命的と思えるような出来事……。これらから、僕は何か重要なことを学ばせていただいている。真剣に、一文字一文字噛みしめながら読みたいと思うような本。少し大袈裟に思われるかもしれませんが、今年読んだあらゆるジャンルの本の中で最高の一冊ですね。断トツに。

昭和の仕事観

もしかすると、これは僕がH社のことをよく知っているから、という理由があるのかもしれません。まったく予備知識なしに読んだとしたら、どんな印象を抱くのだろう? このあたりも気になります。
 ただ、ある程度長い人生を生き抜いてきた、それも苦労して企業経営や人材育成に携わってきた人であれば、その会社のことを知っていようがいまいが、心打たれるものがあるのではなかろうか?
 ここには紛れもなく、「昭和の仕事観」がある。昭和的な仕事観は、働き方改革の名の下に「否定されるべき価値観」として片隅へ追いやられようとしています。それは時代の変化とともにやむを得ない、あるいは自然なことなのかもしれません。けれども、当時の人たちにとって、他に選択肢はなかった。そうしなければ、生き抜いていくことのできない時代であり、ビジネス環境だった。この点を押さえておかなければ、「昔はブラック労働が容認されていた」といった短絡的な理解の仕方になってしまいます。
 僕はこれまでの人生の半分近く、「昭和」の時代を生きてきました。僕の考えの半分は昭和的です。ですから、超人的な努力を経験せずに、何かが身につくとは考えていないところがあります。ましてや、朝8時半から夕方5時半の間だけ仕事をして、それ以外の時間をのんびり過ごしながら、一人前のプロになれるはずはない。どんなに密度濃く勤務中の8時間を過ごしたからといって、そんなに楽な仕事人生はあり得ない。そう考えているのです。
 こうした僕の考えには、平成生まれの人の一部も賛同してくれています。たまに、取材先への移動中、そのような話になることがあります。そのうち、令和生まれの社会人が現れたら、どんな仕事観になっていることでしょう? 僕は「昭和の一時期は異常だった」とも思うのですが、程度の差はあれ、時代が変わっても仕事観は大きく変わることがないのではないか、と思っています。結局、正しい方向へ向かって、効果的な方法で、継続的に努力した人がほしいものを手に入れている。いつの世においても変わることはありません。
 そして、ほしいものを手にした人は、何か重要なものを手放したり、より大きな苦労を手にしたりすることになります。そんな人生の原則についても、学ばせてくれる本。完成が楽しみだなぁ。きっと、何度も読み返す本になるに違いない。我が社の記念誌も、こんなふうにつくりたいものです。謎が深すぎて解明不可能だとは思いますが……。

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