
「再生」( 1985年、Gallery・DOT) (c) Atsushi Takahara
おはようございます。
新入社員研修は昨日で第20講まで進みました。毎年考えるのは、「みんなちゃんとついてこれるだろうか?」ということ。したがって、反応を見ながら講義の中身を変えています。結果として、ずいぶん変則的な進め方になることもあります。
昨日の前半、第19講はビデオ学習でした。11年前に取材を受け、テレビで放映されたもの。ちょっと古すぎるかも……と思いましたが、これも我が社の歴史の一部。そして、我が社の全体像を一番的確にまとめていただいた番組でした。
改めてビデオを見ると、みんな今よりも11歳若く映っていました。当たり前ですね。時間の経過を感じます。これは写真でも同じこと。一瞬の光景を捉える写真も、ある程度幅のある時間を切り取る動画も、空間と時間を記録しているという点では同じ機能を持っています。
その上、動画の場合はスクリーンまたは画面から、11年前の人物が語りかけてくるのです。これは動画ならではの表現力といえるでしょう。
写真に与えられる「特別な意味」
我が社の入社式は4月2日に開催される予定になっています。入社式後は社員全員で集合写真を撮影します。一枚の写真の大勢の人物が写っている写真を見ながら、人はどのような行動をとるでしょう? そう、「自分がどこに写っているのか探す」というのが最初にとる行動です。まずは自分を見つけ、それから自分の気になる人を見る。大半の人はそんなふうに集合写真を見ることでしょう。
ほとんどの人にとって、最大の関心事は「自分」といってよいのではないでしょうか。それに加えるものがあるとすれば、「自分と同じくらい大切な人」ということになります。ですから、我が社の記事が新聞に載ったときは、どんな大ニュースや大事件があったとしても、まずは自社の記事が載っているページを開いてみることになります。
自分にとって、直接的に気になる人や気になる情報はない……。そんな場合であっても、多くの人は新聞を読み、ニュースを見る。さらに雑誌や本を読んだり、写真や動画を目にすることでしょう。僕らは情報に対してどのような姿勢で接しているのか? 何をどのように見ているのか、気になることはないでしょうか?
購読率が低下しているとはいえ、多くの人は毎朝新聞を読んでいます。限られた時間の中で全ページ、全記事を読むことはできません。取捨選択しながら読んでいます。無意識的に気になる記事だけを選び出して読む。その動作は極めてスムースです。どうして、そのようなことができるのか?
僕の場合は、最初から気になるテーマ、気になるキーワードを持っているからに他なりません。気になることがなければ、新聞を読む気にはならないような気がします。「北海道」「印刷」「出版」「通販」「働き方改革」……。そうしたキーワードが登場する記事は、自分でも不思議に思うほど目に飛び込んでくるものです。
新聞に限らず、僕らは「自分の見たいものを選んで見ている」。そう考えてよいでしょう。
したがって、写真展へ足を運び写真を鑑賞する、あるいは写真集を開いてみるといった行動をとる最大の理由は、「見たいものがあるから」に違いありません。とはいえ、「見たい理由」が最初からわかっているというケースばかりではないはず。前評判がよいとか名作だから……といった理由もあるでしょうが、「何となく気になる」といった漠然としたものではないでしょうか。
写真とは、カメラを使って現実の空間と時間を切り取り、平面に定着させる表現方法。極めて現実的であり、具体的な風景がそこには再現されています。しかし、そこに写っているのは「具体的な景色」だけではありません。
写真家の思考や想像が働き、その上に偶然が作用し、一枚の写真作品ができあがる。それを見る人も同じように、写真を鑑賞しながら「思考と想像」というプロセスを体験することになるのです。
写真家の思考力と想像力。それに、写真を見る人の思考力と想像力が加わる。その結果、写真に「特別な意味」が与えられることになるなるのではないかと僕は考えています。
写真作品を完成させるのは写真家の仕事。ですが、写真に本当の意味を与えるものは、写真家だけではなく、むしろ写真を鑑賞する人によるところが大きい。多くの人が特別な意味を与えるような作品は「名作」と呼ばれることになります。ただ、そればかりが写真ではありません。「名作」とは呼ばれることはなくても、ある特定の人に対して特別な意味を与えるものがある。
そこが写真のおもしろいところ。記念写真などはその最たるものですね。ほとんどの場合、作品としてではなく、記録として記念写真が撮られる。それは関係者にとって特別な意味があるからです。
写真作品をより深く味わうためには、写真を見る人の「思考と想像」が不可欠。写真から具体的な景色や被写体を見るだけではなく、思考力と想像力を働かせ、具体化と抽象化を往復しながら作品を鑑賞するのです。
僕の場合、分析的に写真を見ることもあります。「なぜこの場所にこの被写体があるのか?」といったような見方。たとえば、海岸に打ち上げられた流木であれば、どこからやってきて、どういう経緯でここに置かれることになったのか……。思考と想像を働かせると興味が増していくものです。さらに想像力を発展させていくと、そこに自分の人生を重ね合わせることができるかもしれません。今、ここに自分が存在することの「特別な意味」。一枚の写真から考えるヒントが得られるかもしれません。
写真作品の見方、鑑賞の仕方はもちろん自由ですが、「写っているもの」に縛られずに、思考と想像を働かせることができれば、写真から得られるものは限りなく広がっていくことになるでしょう。
