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番外編 写真と印刷について

番外編 写真と印刷について

「untitled」( 1998年、Gallery・DOT) (c) Atsushi Takahara

こんばんは。
 通常、ブログは早朝書くようにしています。場合によっては、前日の夜に書くこともある。当日の夕方になる……というのは、よほどのことが起こったときのみ。僕の記憶では、離島の取材で更新できなかったとき以来のこと。まさか、今日、「よほどのこと」がやってくるとは思いませんでした。
 毎年続くボランティア活動なので、来年は作業の進め方をもっと効率的に変えていかねばなりません。
 さて、そんなわけで「写真を見る愉しみ」を書くだけの余裕がなくなってしまいました。ただ、ちょっと書いてみたいことがあるので、今日は番外編として書き進めることにします。

カメラ・オブスキュラ

ずっと以前から思っていたことですが、写真と印刷との間にはただならぬ密接な関係があります。まあ、わざわざ僕が指摘するまでもないことですね。写真と印刷にはいくつもの共通点があります。僕はその両方に関わっています。おそらく印刷会社の経営者には写真好きという人が多いのではないかと思います。
 どこが一番の共通点かというと、それぞれの「前史」を持っているというところでしょう。それも並の前史ではありません。どちらも1000年単位の前史なのです。
 さすがに、歴史という点では印刷のほうがずっと古い。印刷の歴史がどこから始まったのか、断定することができないくらい古い。紀元前1600年頃作られたファイストスの円盤(クレタ島で発見されたもの)が最古の印刷として知られていますが、印刷物と見なしてよいかどうかは説が分かれるところ。中国で木版印刷が始まったのは7世紀から8世紀にかけて。そして、現存する世界最古の印刷物とされるのは、日本にある百万塔陀羅尼(770年)。グーテンベルクが42行聖書を印刷するのは、1445年のこと。ずいぶん後のことです。
 一方、写真のほうはどうなのかというと、写真術の発明という点では印刷よりも時期がハッキリしています。
 世界初の写真はフランスの発明家、ジョゼフ・ニセフォール・ニエプスによって撮影されました。1826年か27年に撮影された「ル・グラの窓からの眺め」が有名ですね。実際には版画を撮影した「馬引く男」が最古のようです(1825年頃)。いずれにせよ、誤差は2、3年。その後、ダゲール、タルボットらが改良を加え、産業革命のヨーロッパで急速に普及していくことになりました。
 日本に写真がもたらされたのは1848年のこと。島津斉彬が写真機材を入手したとされています。ただし、撮影に成功したのは1857年と、ずっと後の話。日本で撮られた最古の写真は、ペリー来航に同行した写真家ブラウンが撮った「松前藩勘定奉行の石塚官蔵と従者」(1854年)でしょう(違っていたらすみません)。年代だけで比べてみると、ヨーロッパと比べて日本が大きく遅れているというわけではないようです。

さて、話の本題である「前史」ですが、写真術誕生以前に「カメラ・オブスキュラ」というものがあったことをご存知でしょうか?
 ピンホールカメラを知っている人は多いと思います。小さな穴(針穴)を使って光を通し、フィルムや印画紙など感光剤に露光させる単純な構造のカメラ。ピンホールが像を映し出すという原理は、実は紀元前から知られていたようです。
 15世紀には絵を描くための装置として画家が利用するようになりました。レオナルド・ダ・ヴィンチも写生に使っていたとのこと。1550年頃にはレンスを備えて鮮明な画像が得られるカメラ・オブスキュラが使われていたようです。あとは、感光剤の誕生を待つだけ……という状態でした。
 塩化銀やハロゲン化銀などの銀化合物の一部は光を当てると黒くなることが、18世紀には知られるようになりました。ただ、この当時、カメラ・オブスキュラに応用しようと考えた人はおらず、写真の誕生は19世紀のニエプス登場まで待つこととなります。
 写真はもう100年早く誕生していても、ぜんぜんおかしくはなかったはず。「必要は発明の母」というべきでしょうか。やはり、19世紀に入って潜在ニーズが高まったことが写真の発明の引き金になったのでしょう。
 どんなニーズだったのかというと、「肖像画」です。産業革命によって中産階級が増え、手軽に肖像画を作りたいという需要が高まっていたのです。ニエプスが発明した写真では露光に8時間もかかったので、ポートレート撮影は無理。ですが、ニエプスの協力者だったダゲールが改良を加え、ダゲレオタイプとして発表。1840年代以降、肖像写真の流行が起こります。

印刷にしろ写真にしろ、「記録に残したい」という強いニーズがあって誕生した技術といえるでしょう。そのうえ、「原版」があって、複製することができるという点もよく似ています(写真が複製できるようになったのはタルボットの「カロタイプ」以降のこと)。付け加えれば、近年のデジタル化によって「原版が不要になった」という点も、印刷と写真は似ていますね。
 カメラ・オブスキュラとは、ラテン語で「暗い部屋」という意味なのだそうです。僕は30年以上も「暗い部屋」を持ち歩いて、さまざまな風景を撮影してきました。明るくまぶしい光がレンズを通過し、「暗い部屋」の中で感光剤に像を焼き付ける。写真家のまったくうかがい知れないところで、確かに像がフィルム上に記録されているわけです。
 デジタルカメラの登場によって写真の神秘性は少し失われた感もありますが、それでも十分すぎるほど神秘的で魔術的。歴史を知ると、僕にはますます写真が不思議なものに思えてしまいます。  

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