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偏愛モノ語り07 金丸重嶺著「写真芸術」

偏愛モノ語り07 金丸重嶺著「写真芸術」

おはようございます。
 午前8時35分、S氏とともに音更へ。移住を希望されているご夫妻と合流。移住ツアーの一メニューとして、風景の撮影スポットをご案内した。だが、いかんせん雪がない。こればかりはどうしようもない。最後の撮影場所が何とか冬らしいと思える風景だった。11時半頃終了。一緒に昼食をいただいてから僕は帰宅した。午後は休日として過ごすことにした。3時半頃、買い物へ。

写真の定義

僕は熱心な読書家というわけではありません。もちろん、仕事に必要な本は読んでいるものの、「読書が趣味」という人には到底及ばない。本を読むことが好きなのではなく、本から得られる情報や考え方のほうが好きなのです。だから、小説を読むこともほとんどありません。出版に携わる人間としてはちょっと偏っているかもしれません。
 そんな僕ではありますが、あるとき本を読んでいて雷に打たれたようになりました。ちょっと大袈裟かな? けれども、ある一文を読んで「これぞ自分の求めていた言葉だ」と思うものに出合ったのです。他に書かれていたことはほとんどすべて忘れてしまいました。けれども、肝心の一文は今も鮮明に覚えています。
 本のタイトルは「写真芸術」(金丸重嶺著、朝日選書)。この本に出合ったのは38年か39年前。「写真芸術」というタイトルには全然惹かれていなかったのですが、金丸重嶺氏の写真評論はときどき写真雑誌で目にしていました。その考え方に共鳴する部分があった。それで買って読んでみたんですね。軽い気持ちで読み進めていき、何の前触れもなく、問題のページを開くこととなりました。
 「写真家の目的は、技術の操作者ではなく、それによって、混沌とした現実の形に秩序を与えることである」
 もしかするとこの一文は、本書の中では特段重要というわけではないのかもしれません。けれども、当時の僕は「混沌とした現実の形に秩序を与える」という部分に光を見た。霧が晴れるような思いだったのです。
 以来、僕にとっての写真の定義は、「混沌とした現実に秩序を与えること」となりました。この定義は応用が利きます。写真だけではなく、企業経営にも人生にも文章を書く際にも、当てはまると言ってよいのではないでしょうか?
 それほどのインパクトを与えてくれた本だったのに、僕は引っ越しを繰り返すうちになくしてしまいました。そのうち、本屋さんでも見かけなくなった。数年前、僕はどうしても確かめてみたくなり、ネットで古本を購入することにしました。問題のページは確かに存在していました。当たり前ではありますが、僕の人生に少なからぬ影響を与えた一文と再会することができました。
 他のページについては忘れてしまった……と書きましたが、改めて手に取ってページを開いてみると、驚くほど真剣に考え抜かれた写真論が展開されていることに気づきます。写真論に関する名著はいくつもありますが、僕にとって「写真芸術」を超えるものはありません。
 熱心な読書家ではないにもかかわらず、このような本と巡り会うことができたのは本当に幸運なことでした。

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