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完璧にイメージできるかどうか

完璧にイメージできるかどうか

こんばんは。
 実はつい1時間前に「写真を見る愉しみ・番外編」を書いたばかりです。明日は早朝出発。今日眠る前にもう一本仕上げておかねばなりません。本当は毎日同じ時刻に投稿していきたいのですが、このようなことになってしまいました。
 先週は「経営指針研究会報告集」と「新入社員研修テキスト」の2つが重なって、自分でもビックリするほど時間を費やすことになりました。社内で僕だけ時短に逆行している……。ともかく、今晩でスッキリ終わるはず。明日から心機一転、巻き返しを誓います。
 濃密な2週間でした。苦労の末、報告集は去年より36ページ多い、80ページの冊子にまとまりました。

写真の次に来るもの

僕は仕事でフォトショップ、インデザイン、イラストレーターの3つとも使いますが、本当はそれほど得意というわけではないのです。使いこなしているとは言えず、必要に迫られて使っている。さすがにフォトショップの腕が悪いと本業に差し支えます。ですから、苦労しながらも最終的には何とかなる(というより、何とかする)。
 一方、インデザインとイラストレーターの場合、「自分の本業ではない」という気持ちが頭の中にある。このため、積極的に技術を覚えようという気持ちが不足していて、その都度必要な技術を調べながら使うことが多い。その結果、余計なところで遠回りしてしまうことになるのです。ここだなぁ、僕の弱点は。
 しかも、年に1、2度くらいしか使わないような技は、何回調べ直しても覚えることができない。イラストレーターでグラフを作成するといった場合、毎回苦労します。これは僕の忘却力の問題だけではなさそうです。

僕は写真の暗室作業をしなくなってから、すでに20年近くたっています。年に1、2度というレベルではありません。たぶん、デザインに関することだったら、きれいさっぱり跡形もなく忘れてしまっていることでしょう。
 ところが、フィルム現像やプリント作業の手順は、まったく忘れていません。頭の中でその手順を事細かく再現することができる。たぶん、その道のプロとして現役で活躍中の人と同じくらい詳細にイメージすることができるはず。
 ですから、今ここで「暗室作業しろ」と言われても、まったく問題なく20年前と同じ技術で現像、プリントすることができる。完璧にイメージできるのですから、完全に同じことができると断言してよいと思います。
 どういうことかというと、完全に体に染みついて一生忘れられないものになっているということ。人によっては、それが印刷機の操作だったり、経理の仕事だったり、原稿執筆だったりするのでしょう。長年やり続けて、あるレベルに到達するとそのような境地に達するもの。逆に言えば、そのレベルを体験せずに別な仕事に就くのは、非常に惜しいことではないかと僕は考えます。
 手に感覚がしっかりと残っていて、一生忘れることのないようなもの。それを手に入れることができれば、時代が変わってその技術を使わなくなったとしても応用が利くのではなかろうか? 印刷も写真もデジタル化が進んで、過去の技術や知識が役に立たなくなった……。そのように多くの人が感じています。
 確かにそうした面もあるのですが、自分が確かに持っている感覚は一生モノと考えてもよいのではないでしょうか。
 僕にとっては、酢酸のツンとしたにおいが充満した暗室の中。ここが自分にとって一番で落ち着く場所。現像液に入れた印画紙から、ぼんやりと像が浮かび上がってくる……。ときには現像液に手を突っ込んで、こすりながらむりやり画面の一部を浮かび上がらせる。赤いセーフライトの中でずいぶん奇っ怪な作業を行ってきました。
 そういう記憶が刻まれているため、写真は神秘的で魔術的で、ときには神聖なもののように感じられる。写真に神秘を感じない人よりも、感じる人のほうが、より写真を愉しむことができるのではないか? まあ、僕がそう思っているだけのこと。僕の考えが正しいと主張したいわけではありません。

おそらく、ひとつの道を突き詰めていくと、どの仕事もその人にとって神聖なものとなっていくのではないかと思います。僕も写真以外にそう思えそうなものが見つかりつつあります。ひとつは「文章を書く」ことで、もうひとつは「経営指針」です。
 毎日最低2000字。スロウや社内報等の原稿を書くのと重なった日には、1万字以上書くこともあります。文章作成技術はまだまだ十分なレベルとは言えませんが、書きたいことと書くべきことは、いつでも頭の中にストックされているような気がします。実際、ここ数年、書く材料に困ることはありません。
 経営指針については、まだ多くを語ることができません。と言いながら、昨年は本を一冊書いてしまいました。語るのに十分知識、能力を持っているわけではないのに、最初に書いた本(紙の本として)のテーマが経営指針だったのです。僕はここになりふり構わず突き進んでいくことになるのでしょう。
 16年前、経営指針(当時は経営計画)を策定して、少しだけ経営者に近づいたと感じたものです。僕は逃れられない定めとして社長になったのですが、このとき、ようやく社長と経営者は別物だと理解することができた。僕は役職上は社長ですが、真に経営者でなければならない。そうわかったんですね。
 今も経営者らしからぬ面をいくつも抱えている僕ではありますが、後退することはきっとないでしょう。もともと持っている才能からすると、写真が一番なのかもしれません。けれども、文章を書くことと経営指針は、この先長い時間をかけながら、きっと写真と並ぶ(あるいは取って代わる?)能力となるはず。それは「予感」というよりも、もっと強烈なイメージとして頭に焼き付けられています。

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