
おはようございます。
朝は全道経営指針委員会の準備。8時45分、とかちプラザ。9時、第3回全道経営指針委員会。2019年度最後の委員会。11時50分終了。12時20分帰宅。昼食。少し休んでから仕事に取りかかろう……と思ったら、ものすごく眠くなった。夕方まで眠る。買い物へ行き、夕食を食べて少しくつろいだら、また眠くなった。合計9時間半眠ったのではないかと思う。
数字でものを言う
昔はよく使っていたのに、今では滅多に使わなくなったもの。そういうものがいくつかあります。僕の場合は電卓ですね。
電卓との最初の出合いは、1970年代なのですが、はっきり覚えていません。気づくと、自宅に赤いLEDが発光する電卓がありました。コンセントに差し込んで使うタイプ。当時は確か「電卓」とは呼んでいなかった。我が家では電子計算機と呼んでいたような気がします。調べてみると、電卓の呼称が標準化したのは1979年のことらしいですね。
新入社員時代、とある印刷会社のプランニング部門に在籍していたのですが、デザイナーの人たちは頻繁に電卓を使用していました。あれは何のために使っていたんだっけ? デザインと電卓。クリエイティブな仕事なのに、カチャカチャとキーを打っている。ミスマッチ感があって、なぜか今も鮮明に覚えています。
僕が電卓をもっとも激しく使ったのは、2002年からの数年間。2002年の春から秋にかけて、日創研のビジネススクールという研修を受講していました。毎回財務テストがあるということで、やや大型でキーが打ちやすい感じの電卓を購入。実際、受講していた5ヵ月間はハードに電卓を使うこととなりました。
受講期間中気づいたのは、我が社の経理担当者は芸術的と思えるほど見事な電卓の使い手であったということ。ピアノの演奏者のようになめらかに電卓を使う。しかも打ち間違いがない。デザイナーのマウスさばきと経理の電卓操作。どちらもプロを感じさせる仕事ぶりです。
僕のほうはというと、打ち間違いもあるのですが、財務テストの勉強に頭を悩ます日々が続きました。自分にはまったく向いていない世界。しかし、覚えないわけにはいかない。ひたすら電卓を打ち続け、少しは理解できるようになっていきました。
我が社ではいつの年からか、新入社員に電卓をプレゼントするようになりました。今は別な贈り物をすることもあるのですが、営業や編集者にはたぶん電卓(ICレコーダーを贈ったこともある)。これには数字に強くなってほしいというメッセージが込められています。
ただ、僕自身は電卓を使う機会がめっきり減ってしまいました。まったく使わないわけではないが、パソコンで自動計算されたり、スマホの電卓を使ったりする。引き出しからわざわざ電卓を取り出すほどではない。僕の机がもう少し整理整頓されていれば電卓の鎮座するスペースもあるのでしょうが、今は15×20センチほどのスペースもない。書類に埋もれること必至。というわけで、出番がほとんどないのです。
最近になって、これではいけないと考えるようになりました。それは先月参加した第3回中同協経営労働委員会に出てきた「科学性、社会性、人間性」という言葉がきっかけ。帰りの飛行機の中で読んだ「よい会社をめざす」(広浜泰久著)にも書かれていました。「道徳的な言葉でごまかすな!」という言葉が刺さりました。数字でものを言う癖をつけなければなりません。まずは経営者、次は幹部。そして数字でものを言う社風に変えていく必要があります。我が社は少し道徳的すぎる傾向にあるかもしれません。
机の上に電卓の定位置を設けて、このあたりを改善しようと思っています。