
おはようございます。
朝、自宅でひと仕事。時間ギリギリとなった。午前8時20分出社。同窓会報6ページ分入稿。そして講演資料を出力。8時35分出発。JA新得町畜産部に到着したのは9時半頃。10時、JA十勝地区青年部協議会上り線ブロック役員研修会が始まる。80分間の講演。「これからの時代に求められるアグリビジネス ~雑誌スロウの取材を通じて感じること~」という演題で話をさせていただいた。11時45分、研修会が終わり、サホロリゾートへ移動。懇親会。軽く昼食を食べる程度だと思っていたのだが、さにあらず。夕方の懇親会のようだった。3時過ぎ帰宅。ある文書の手直しをしてから、マッサージ機で横になる。気づくと、3時50分。あわてて同友会事務所へ。4時、中小企業家同友会とかち支部四役会。4時半、幹事会。6時過ぎ帰宅。
唯一残したフィルムカメラ
最近、風景写真を撮っていません。これは僕の精神衛生上問題であって、どこかで時間を確保せねばならないと思っています。2月下旬まで、空いている時間はほとんどない。3月に期待することにしましょう。
僕の人生の中でもっとも時間的にゆとりがあったのは、学生時代を除けば1987年から88年にかけて。26、7歳。普通の人であれば、この時期にとことん働いて、何かをものにしていることでしょう。僕はその逆でした。会社員として働くのは自分には合っていないことがわかり、次にどうしたものかもやもやとしていた頃。
たぶん、この頃に購入したのがペンタックス67。写真のカメラはペンタックス67ポラロイドバック付きボディ。通常のボディとレンズは社内のある人に永久貸し出し中です。僕は人生の変わり目とか、何か追い詰められているときにカメラを購入する癖があるようです。
この重たいカメラを持って、ソウルに1ヵ月弱滞在したこともありました。当時の韓国の人は大きなものが好き(今もかな?)。僕のカメラは注目を浴びることとなりました。だから、途中からは宿に置きっぱなしにして、35ミリカメラで撮ることが多くなった。写真を撮るには目立つと不都合なのです。
仕事ではモデル撮影に使うことが多かった。料理撮影にも使いましたが、アオリが使えないのが弱点。90年代に入ってからは作品制作用に使うようになり、じっくり三脚に据えて撮影する機会が増えました。絞り込んでしっかり撮る。そうすると、もうひとつの弱点が見えてきました。レンズが若干甘いようなのです。広角レンズを使うと、周辺部の描写にやや難がある。個展用に大伸ばしをしたとき、その事実に気づきました。まあ、許容範囲ではありましたが……。
2000年、ソーゴー印刷に入社してからは、年1回しか使わなくなりました。空撮とときに使うのみ。その空撮も、いつの頃からかデジカメで撮るようになり、やがて空撮も行わなくなりました。
ペンタックス67に限らず、フィルムカメラは完全に使わなくなってしまいました。東京から持ち込んだコンタックス、ローライ、アルカスイス、トプコンホースマンといったカメラは、ある年に思い切って処分されることに。たぶん、コスト削減委員会が活発に活動していた頃でしょう。ただ、ペンタックス67は処分できなかった。将来に対する不安でもやもやしながら買った記憶が今も残っているのです。
それにしてもこのカメラはものすごく頑丈にできています。ちゃんと使い続ければ一生使えそうな気がします。貸出先であるA氏が、このカメラ使って名作を生み出してくれることに期待しましょう。