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第14話 何もない風景の愉しみ

第14話 何もない風景の愉しみ

「untitled」( 1999年、Gallery・DOT) (c) Atsushi Takahara

おはようございます。
 ようやく正常な生活に戻りました(たぶん)。昨日は札幌出張。中小企業家同友会全道理事会とミーティング。気づくと、3月も下旬。何となくソワソワしてきますね。
 「○○がない」。そんな不足感にとらわれることがあります。僕の場合は「時間がない」ということが多い。皆さんはいかがでしょう? 心豊かに生きていくためには不足感を持たないことが大切。気持ちを「ある」に切り替えると、状況は変わらなくても心の状態が変わって、行動が変わり、その後の状況が変わってくる。そういう経験は誰もが持っているものでしょう。
 今回は「○○がない」ではなく、「何もない」をテーマにしてみたいと思います。

自分の裡にある何かに気づく

数年前、京都にあるギャラリーDOTで、「北海道に何もないところってある? そういう場所を撮りたいという写真家がいるんだけど……」と質問されたことがあります。
 実に興味深い話です。僕もそういう場所を探すことがあるからです。
 けれども、ちょっと考えてみると実に奇妙な話でもあります。何もないはずはない。現実の空間なのですから、必ず何かが存在している。
 ただ、意味はよくわかります。そして、何もないところを探す理由もよく理解できます。
 僕らは(現代人は……と言い換えてもよいかもしれません)、「おもしろいもの」「すごいもの」「めずらしいもの」を追いかけすぎているのです。絶景を追い求めたり、隠れた名店を探したりする。「ある」を追いかける競争に陥っているところがあるような気がします。
 写真の場合は、それが「被写体至上主義」へとつながっていくことになります。すごい被写体ばかり追いかけていると、「自分は本当は何を求め、何を表現したいのか」がわからなくなってくるかもしれません。絶景好きな人であればそれでよいのですが、写真好きな人が求めている世界はちょっと違うような気がします。「別な何かがある」「自分にとって特別な場所がある」と考えてほしい……。これは僕の一貫したメッセージでもあります。
 「ある」の反対は「ない」。そして、「ない」を求めても、何かが「ある」ことに気づくことになるはずです。「何もないところ」を求めていた写真家と直接話す機会はありませんでしたが、後日「確かに何もなかった。よかった」という話を伝え聞くことができました。これもまた奇妙な感想といえますが、僕には十分理解できる言葉です。

何もない風景を見る愉しみ。そういう愉しみ方があってよいのではないかと思います。
 北海道で「何もない風景」といえば、たとえば一面の雪原といった風景でしょうか。もちろん、雪原があるのですが、何もないように感じることができる。あっ、この感覚が一番近いですね。「ない」のではなく、「何もないように感じる」という風景。夏になると一面の牧草地を見て「何もないように感じる」ことがあります。牧草地がある。そこで経済活動が行われているというのに「ない」と感じてしまう……。これはカメラを構えたとき、「被写体が何なのかハッキリしない」からなのかもしれません。
 それでも「何もない場所」にしばらく身を置いてみると、何か感じるものがあるはずです。被写体らしきものがないため、代わりに自分自身の存在を感じるようになる……。人によって感じ方は異なると思いますが、ふだん感じることの少ない「かすかにあるもの」に気づくようにもなってきます。

僕は数年前、スロウのポスターを制作したのですが、写真選びにずいぶん苦労しました。ポスターにするのだから、インパクトのある写真のほうがよいだろう、と最初は考えました。しかし、M編集長からはダメ出しされるし、自分自身でもどうもしっくりしない……。
 そうして、最後に残ったのは、ずいぶん地味な植物の写真数点となりました。
 B2サイズに印刷してみてわかったこと。それは毎日見ていても飽きないということでした。スロウの編集理念は「足元の豊かさに光を当てながらわくわく北海道をつくります」というものですが、その通りの写真のように思えてきました。
 何もない風景、あるいはありきたりな風景の中から何かを感じ取ろうとすると、自分の裡から湧き上がってくる「充足感のようなもの」の存在に気づく。逆に、めずらしいものばかりを追いかけようとすると、「ほしいものはこれじゃない」という不足感にとらわれる。人生において、この違いは非常に大きいのではないかと思います。
 写真を鑑賞する際には、きっと何かが写っているに違いありません。けれども、必ずしも見る人を引きつけるようなインパクトを持った被写体であるとは限りません。むしろ、何の変哲もないものの中から何かが伝わってくることがあるものです。
 何もないように感じる写真と対峙することで、写真を見る人は自分の裡にある何かの存在に気づくことになるのかもしれません。
 写真は「鏡のようなもの」でもあります。鑑賞しているうちに、自分自身を写真に投影してしまうことがよくあるものです。写真家が風景に自分自身を投影しながら撮影しているように、写真鑑賞者も作品を見ながら自分自身の姿を見ようとする……。
 そのためには、「何もないように感じるところ」「ありきたりな風景」のほうが好都合なのです。

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