「untitled」( 1999年、Gallery・DOT) (c) Atsushi Takahara
おはようございます。
昨日は由仁での取材。夕方、帯広ロータリークラブ次年度クラブ協議会。国際ロータリー次年度会長テーマは、「インスピレーションになろう」なのだそうです。インスピレーションになる。いい言葉ですね。僕らも誰かにインスピレーションを与えるような仕事をしたいものです。
オリジナルプリントの価値
写真からは多くのインスピレーションが得られるものです。しかし、現代は映像の時代。文字と同じくらい、おびただしい量の写真を目にすることになる。写真がめずらしかった100年前であれば、一枚の写真をじっくり見るのが当たり前だったことでしょう。今は瞬時に、見る写真と見ない写真を無意識的に選別している自分がいます。きっと、0.3秒くらいで判断しているはず。どんなに意味がある写真であっても、「見ない写真」に分類されてしまうと、その人にとっては無価値なものとなってしまいます。
そんな時代だからこそ、フォトギャラリーへ足を運ぶ価値があるといってよいのかもしれません。
ただ、残念ながら、日本では写真作品に対する評価が低いというのが現状。バブルの頃にオリジナルプリント(写真家が自分の作品として認めたプリント)を扱うフォトギャラリーがいくつも誕生しましたが、バブル崩壊とともにその多くは消えていきました。日本はカメラ好きな国民で、写真好きとも言えるのですが、「写真作品好き」というわけではないようです。これは映像教育の不足が最大の理由ではないかと僕は考えています。
オリジナルプリントとはどういうものか? この点については後日述べることにします。
今回は「どういう環境で写真を見ると愉しむことができるのか?」について考えてみたいと思います。
写真作品を最高の環境で鑑賞するには、オリジナルプリントを扱っているフォトギャラリーが一番なのではないかと思います。あるいは美術館で見るのもよいでしょう。
フォトギャラリーにもさまざまな種類があります。カメラメーカー系や貸しギャラリー、写真家による自主運営のギャラリーも。オリジナルプリントを扱い、プリントを販売しているギャラリーは極めて少数派といえるでしょう。
なぜオリジナルプリントを扱うギャラリーまたは美術館で見るのがよいのかというと、それは印刷では再現不可能な深み(奥行きというべきか)を持った写真を鑑賞することができるからです。
さほど目立たないし、話題に上ることもありませんが、今日の印刷技術は格段に進歩しています。我が社の雑誌「northern style スロウ」をはじめ、自社で印刷する冊子やパンフレット類の多くは、従来の網点を使った印刷方式ではありません。FMスクリーンと呼ばれる、微細な粒子で再現する印刷方式。ルーペでのぞいてみると、銀塩写真の粒子に近い。したがって、再現性の高い用紙に印刷したものであれば、印画紙と見間違えるようなクオリティに仕上げることも可能。写真プリントと印刷物との差が非常に狭まっているというのが現状なのです。
一方、オリジナルプリントには、まだ印刷では再現不可能な「神秘的領域のようなもの」がある。僕には論理的説明はできませんが、本物だけが持つ存在感があると感じるのです。そうした存在感を実際に感じ取るには、展示されている場所へ足を運ぶしかありません。
オリジナルプリントを扱うギャラリーでは、鑑賞するための空間、雰囲気という点で十分に配慮されています。美術館の場合は、「写真に対する理解がどれほどあるか」によって、心地よさが違ってきますね。作品そのものは素晴らしいのに、そのよさを十分味わうことができない……といった展覧会もあります。
帯広に住んでいると、なかなかフォトギャラリーへ行くことができないという不自由さを味わうことになります。しかし、発想を切り替えることで都会にはない写真生活を堪能することも可能ではないか? そう思えるようになってきました。
北海道ではその気になれば広い家を建てることが可能。我が家にも写真を展示するためのスペースが十分あります。現在、一等地と思える壁面には、僕の作品「風景」(1993年)が展示してあります。2番目にいい場所には、ジェリー・N・ユルズマンの「Untitled, 1976」。20数年前、思い切って購入したユルズマンのオリジナルプリントです。この2点の作品を見るためだけでも、我が家を訪ねる価値はあります(じっくり見る人は少ないのですが)。
将来的には会社の一部をフォトギャラリーのようにしたいという野望を持っています。今も応接コーナーには写真が常設展示されています。ただ、鑑賞に適した空間には至っていない。現在の我が社ではこれ以上は困難ですから、僕の野望は社屋を新しくしたとき実現されることになるでしょう。
写真を見る愉しみは、もちろん「どんな作品を見るか」が一番ですが、その次は何かというと、「どのような環境で見るか」という点にあります。残念ながら、日本では最高の空間で写真作品を味わえる場所が少ない。
したがって、自宅に展示場所を用意するのもひとつの方法ではないかと思います。そうした意識を持った人が増えていけば、日本のオリジナルプリント市場にも広がりが出てくるのではなかろうか? ただ、銀塩写真がどんどん少なくなっていますから、オリジナルプリントのコレクションは次第に困難なものとなっていくに違いありません。