
おはようございます。
午前10時頃、パソコンに向かう。原稿の手直し、ポストカードのレイアウト等。午後はパワーポイントで講義資料作成。中学1年生を対象にしたものだが、どの程度の難度にしたらよいものか? 考えた末、難度は高いが表現をわかりやすいものとした。この手法、大学生、社会人向けにも使えそうだと思った。夕方、買い物へ。
不得手なことを伝える能力
中学1年生の頃の自分はどうだったのだろう? そんなことを思い出しながら、パワポのスライドを作成していきました。どんな情報でも吸収できそうな年代。だからといって、学校でまったく習わないようなことを話すには工夫が必要な気がします。
テーマは「働くために必要なコミュニケーションスキル」。このテーマ、僕にはまったく不向きだと思っているのですが、なぜか年3、4回話すようになりました。不向き、不得手だから伝えられることがある。ここが不思議なところなんですね。
本当は社内に僕よりはるかに適任という人が何人もいます。コミュニケーションの上級者。彼らの口からコミュニケーションについて語ってもらうのが一番ためになりそうな気がします。実際、そのようなセミナーもいくつか行われているに違いありません。社内には僕以外にも外部セミナー、講演を依頼される人が数名います。
僕が他の人と若干異なっている点は、自分の不得手な事柄について語ることができるというところ。不思議なことですが、僕はそういう体質になってしまったようなのです。「体質」という言葉を使うのも変なもの。ただ、僕の感覚ではその言葉が近い。依頼されると、一瞬にして「できそう」と思ってしまう。なぜかというと、コミュニケーション上級者レベルの人を日頃よく観察しているからに他なりません。
これは僕の写真力、つまり被写体を観察する力が「できる」と思わせるのでしょうね。自分に備わっている力ではなくても、その力がどのように生み出されたものなのか、どうすれば高められるのか、論理的に説明することができる。
この「論理的説明」という点では、むしろ不得手な人のほうが案外できるものなのです。もともと得意であるという人は、頭で考えなくてもパッとできてしまうわけです。だから理論は不要。できない人を見て「なぜできないのか?」がわからないことが多い。
コミュニケーションスキルに限らず、ほとんどの能力は、「もともとできる人」「苦労してできるようになった人」「苦労してもできない人」「最初からあきらめている人」の4パターンに分けられるのではないかと思います。
僕はさまざまな講演やセミナーを聴いてきました。また、多くのビジネス書や自己啓発書を読んできました。そうした中で、もっともわかりやすく共感とともに伝わってくるのは、「苦労してできるようになった人」の話。講演やセミナーを聴きに来る人は、苦労の途中にある人が多い。苦労の末につかみ取った能力や成果。そのプロセスを知りたいと思っているのです。
中学1年生とは、能力があってもそれを十分に制御できていない、という年代でしょう。ただし、僕の45年前と今の中学生とではずいぶん状況が違っていそうです。中学生に向けて講義をするのはたぶん5年ぶり。どんな講義になるのか、予測がつきません。
物心ついたときにはスマホがあった。そんな世代の人たちに向けて、僕の論理的説明は通用するのでしょうか? ここがよくわからないところであり、楽しみなところでもあります。講義内容のほうは人間的、感性的なものを用意しました。もう少し手直しすれば完成です。
