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活動記録05 風景を見る目

活動記録05 風景を見る目

おはようございます。
 朝5時半から風景撮影。幕別方面。特に決まったルートはなく、何となくいい感じがする方向へ車を走らせる。昨日はセンサーサイズの異なる3台のカメラを代わる代わる使う。これも特に決まりはなく、何となく選んでいた。風景撮影ではこの「何となく」が案外重要だ。8時頃帰宅。少しだけパソコンに向かったが、あとはほぼ一日休日として過ごす。

風景の解釈と編集

白内障の手術をしてから、遠くのものが鮮明に見えるようになりました。自分にとっては劇的変化。45年ぶりに視力が1.5に戻ったのです。少し大袈裟に言えば、目に見える世界が違って見えます。輝いて見えるような気がします。実際、この3日間はよい天気だったので、雪景色が逆光で輝いて見えました。中近距離はまだ見えにくいところがありますが、遠景の見え方に関しては申し分ありません。近いところもいずれ慣れてくるでしょう。
 ものがよく見えるようになると、自然と撮影意欲が湧いてくるものです。今年の3月は風景撮影に出かける日が増えるのではないかと思います。ここ数年、実は風景の撮影量がめっきり減ってしまっていました。写真以外の仕事が増えたのが最大の理由。ただ、今は撮影意欲が高まっていますから、きっと今年は風景撮影日を確保することができるでしょう。
 網膜でキャッチされた情報が視神経を経由して脳に伝達される。詳しいことは僕にはわかりませんが、そのようにして僕らは風景を見ています。人によって見え方が異なっているでしょうし、脳内での解釈にも違いがあるはず。そうなると、同じ風景を見ていても、人によって見え方や感じ方に違いがあるということになる。その見え方、感じ方の違いを強調したり、編集するなどして、他人にわかってもらえるように表現する。それが写真という表現手段ではないかと思います。
 1990年代まで、僕は自分の作品をモノクロで制作していました。網膜に映る映像はカラーですが、僕の脳みそはそれをモノクロに変換しようとしていた。もちろん、どうがんばっても世界がモノクロに見えるはずはありません。けれども、ある一瞬、シャッターを押す直前か直後、モノクロに見えることがあるんですね。現像、プリントする前に脳の中で作品ができあがっている。そういうことがときどきありました。
 ものを見るというトレーニングを積み重ねると、自分の見たいと思う風景が見えるようになっていく。そう考えてよいのではないでしょうか? あまり意識せずぼんやり世界を見ていると、見たい風景も見たくない風景も見えてしまいます。フォトグラファーとして、あるいは企業経営者としては、「見たい風景」と「見なければならない風景」を優先的に見る必要があります。
 冬の美しい十勝の風景は、「見たい風景」に他なりません。そして、今起こっている新型コロナウイルスに関連する出来事は「見なければならない風景」。
 どちらも、網膜、視神経を経て脳に伝達されます。重要なのは、自分の脳みその中でどのように解釈するかということでしょう。
 素晴らしい風景が広がっているというのに、まるっきり無関心な人もいます。とんでもない出来事が起こっているのに気づいていないという人もいる。さらにいえば、今起こっている小さな出来事が将来大問題に発展することもありますし、小さなきっかけから素晴らしい世界が開けてくることもあるわけです。したがって、何気ない出来事、何気ない風景にも敏感になり、脳内で解釈や編集作業を活発に行う必要があるのではないかと思います。
 僕は根がフォトグラファーなので、物事を見る目が一番重要ではないかと考えています。次に求められるのが解釈力と編集力。風景が一瞬、モノクロに見える……。そのような編集力(集中力と言うべきか?)を取り戻す必要がありますね。やはり、積極的に風景撮影を行う。僕の場合は、これ以外に解釈力と編集力を高める方法はないような気がします。 

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