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第17話 純粋な目で作品を見る

第17話 純粋な目で作品を見る

「untitled」( 1999年、Gallery・DOT) (c) Atsushi Takahara 

皆さん、こんばんは。
 大きな仕事の山は乗り越えたと思いますが、まだまだ油断はできません。さほど楽になったという感覚はないまま、4月に突入していきそうです。
 今日一番の仕事は、地元でもっとも尊敬する先輩経営者のインタビュー。これまで半年間取材させていただきました。形になるのは2019年春。長期間にわたる仕事。どのような形にまとまるのか、僕にはまだ十分イメージできていません。早い段階からイメージを固めすぎると、予定調和的な本になってしまいます。このあたりは雑誌「northern style スロウ」のつくり方と同じ。取材しながら変化させていく。緊張感はあってもこのほうがおもしろいものになりやすい。
 これは写真の撮り方とも共通しています。決めつけない。被写体に合わせて柔軟にイメージすることが重要です。
 今日のインタビューで感じたことは、企業経営においてもまったく同じであるということ。経営者がイメージを固めすぎると、社員の持つ能力は十分開花していかないのではないか? 一人ひとり自分の伸びたい方向へ伸ばすことのできる組織というものが、企業本来の姿なのではないか? いろいろ考えさせられます。

有名でも無名でもいいものはいい

日頃の取材活動を通じて感じるのは、北海道の中には素晴らしい人物がたくさんいるということ。経済人として素晴らしい人もいれば、深い洞察力や哲学を持っている人もいます。有名、無名、どちらであっても素晴らしい人は素晴らしい。
 有名か無名か、大企業か中小企業かはまったく関係ありません。スロウの取材活動では、どちらかというとあまり知られていない人を取材することが多い。「自分の会いたい人に会って話を伺う」というのが基本スタイルです。
 先入観にとらわれず、自分が「いい」と思ったものを「いい」と信じること。取材活動だけではなく、仕事全般、人生全般に当てはまることではないかと思います。誰かの勧めや誘いに乗ってみる。それもよいことだとは思いますが、最終的には自分がどう判断するのかが重要。主体的に意思決定しないことには、能力も感性も高まってはいきません。
 当然ながら、そのことは写真鑑賞力にも当てはまるといってよいでしょう。自分の目を信じること。それが重要です。
 ところが、現実にはどうなんでしょう? 僕自身を含め、ほとんどの人が先入観や偏見を持って写真作品を見てしまっています。一番大きな先入観といえるのは、「著名な写真家の作品だからいい」という思い込みですね。
 確かに、歴史的名作と呼ばれる作品に関しては、やはり「いい」と言われるだけの存在感とかエネルギーといったものが伝わってくるものです。しかし、著名な写真家の作品のすべてが名作であるはずはない。特に、故人となった写真家の場合は、存命中であれば世に出なかったのではないかと思わせる写真が展示されることがある。美術館で開催される写真展では、作品数が多いためか、そうしたケースがときどき起こりうる。ちゃんと見分けねばなりません。
 逆に無名な写真家の場合はどうでしょう? 「無名だから大したことはない」といった偏見を持っていると、写真を愉しむどころではありません。先入観や偏見からインスピレーションは得られない。自分には先入観がある。偏見がある。そのことを認めながらも、できるだけ素直な視点を持って写真作品に向き合うことが大切です。

僕はジャスを聴くことが多いのですが、最初のうちは何を聴いたらよいかわからなかったので、大御所と呼ばれるようなミュージシャンの名盤を買い揃えていきました。いろいろ聴いていくと、自分はどんな演奏が好きなのかわかってきます。次第にビッグネームかどうかは気にならなくなりました。そして、名作であっても好きになれないものがあることがわかってきました。
 アメリカやカナダを旅行した際には、ライブハウスでジャスを聴く機会が何度かありました。レコードやCDとは違った魅力がライブにはある。これは多くの人が感じていることでしょう。
 たぶん、写真にも同じことが言えますね。写真集でも伝わってくるものがありますが、写真展でなければ伝わらないものもある。
 ライブハウスやフォトギャラリーへ足を運んだからこそ体験することのできる感動がある。その作品が名作かどうか、写真家が有名かどうかは、感動の大小とほとんど関係ないのではないか? そう考えることがあります。
 作品と対峙する自分自身が純粋に写真を愉しもうと思っているかどうか? それがすべてといっても過言ではないでしょう。そう考えていくと、フォトギャラリーの扉を開ける前に、自分の心の状態を十分整えておく。それが写真を愉しむ秘訣といってよいのかもしれません。
 暗室作業中、現像液に浸かった印画紙からじわじわ画像が浮かび上がってくるとき、僕は祈るような気持ちで画像を見守っていました。たぶん、僕の人生の中でもっとも純粋と思える時間。写真作品を鑑賞する際も、これに近い気持ち、祈るように作品を見ることが求められるのではないかと思います。

写真でも音楽でも、あるいは日常のビジネスでも、その人の地位、権力、社会的評価にとらわれずに作品や仕事を愉しみたい。僕はそう考えています。自分の「ものを見る目」が純粋であれば、作品や仕事の中からその人の本当のよさや持ち味が伝わってくる。目が濁っていれば、有名か無名か、企業規模が大きいか小さいか、地位が高いか低いか……といった世俗的な基準に左右され、作品そのものを味わうことができなくなってしまいます。
 歴史的名作を愉しむことも大事ではありますが、もっと幅広くさまざまな写真作品に触れてみることです。そして、自分が「いい」と感じた作品を一通り味わった後、今度は「なぜいいと感じたのか」について、分析的にその作品を観察してみるとよいのではないかと思います。

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