
おはようございます。
午前中は事務的作業とズームの試用等。なるほど、そういうことか。スカイプよりはるかに軽い。画面共有もサクサク。3月に行われた会議ではスカイプを使ったが、これからはズームにしよう。午後2時、同友会事務所でミーティング。会議室ではタイミングよくズームのテストが行われていた。今後、会議等で頻繁に使われることになりそうだ。夕方、自宅で再度ズームを試してみる。外付けのWEBカメラをつけ、僕のデスクトップパソコンでもズームが使えるようになった。
働き方、企業のあり方が変わる
今朝の日本経済新聞に、「サピエンス全史」の著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏の寄稿が載っていました。「新型コロナウイルスの嵐が去った後、私たちはこれまでとは違う世界に暮らすことになる」という話。
「全体主義的な監視」か「市民の権限強化」か。「国家主義的な孤立」か「世界の結束」か。2つの重要な選択に直面しているというのですね。どちらを選択するのかによって、1年後か2年後まったく違う世界になっているのかもしれません。
世界が岐路に立っているのと同様、個人や企業も地域社会も、大きな分かれ道の前に立っていると考えるべきでしょう。今の選択、今の行動が非常に重要であり、その積み重ねによって、1年後には違う自分、違う自社、違う地域になっているような気がします。
ただ働くのではなく、意志を持って働く人が増えていくのではないか? これは東日本大震災の後にも見られた現象。今年から来年にかけ、世界的レベルでそうした人が増えるのかもしれません。
楽観的に考えれば、従来とは異なる働き方、企業や地域のあり方が明らかになり、真の意味で働き方改革が進んでいくことになるでしょう。会社組織全体の結束力が高まると同時に、個人の自由度が増していくような働き方。自立した人が増え、相互依存関係が深まれば、そのような働き方も不可能ではありません。きっと、これから個人単位または企業単位で、そうした流れが加速していくに違いありません。
懸念材料もあります。というか、懸念だらけというべきでしょう。今朝の新聞には「コロナ危機 力増す勝ち組企業」という記事もありました。景気後退による弱小企業の淘汰が進んでいくというのです。英国の政治経済紙「エコノミスト」の記事なので、日本には当てはまらないかもしれません。けれども、勝ち組の力が増すというのは当たっているでしょうね。ここ10数年のうちに極端な企業間格差が生まれてしまいました。さらに格差が拡大していくのか、気になります。
恐るべき破壊力を持つウイルスと圧倒的支配力を持つ巨大企業。両者を併記するのは変かもしれませんが、地域企業、中小企業にとって脅威になっているという点では同じでしょう。しかも、僕らは巨大企業(特にIT分野)に一部依存しながら事業活動を行っています。脅威ではあっても敵ではない。そんな微妙な関係を保ちながら、自社を成長させていかねばなりません。ウイルスも同じなのかな? 1年後には共存できるくらいにまで、新型コロナの危険レベルは下がっているのでしょうか? わかりませんが、新型コロナの危機が去っても別なウイルスがきっとやってくる。自分も自社も強くならねばならないということを今回の危機が教えてくれています。
「正しいか間違いか」「敵か味方か」「勝つか負けるか」といった単純な見方ではなく、全体の調和を求めるような世界観、経営観、人生観を持つことが重要なのではないでしょうか。
新型コロナウイルス後の世界がやってきたときのために、今、後悔しないような選択と行動をとらねばなりません。