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活動記録19 帯広ロータリークラブ・ビデオ例会

活動記録19 帯広ロータリークラブ・ビデオ例会

おはようございます。
 朝3時起床。久々の早起き。ブログを書き終えた後、帯広ロータリークラブ例会の準備。パワーポイントで資料を作成しながら、必要な写真の画質調整と追加のスキャニングを行っていく。11時半頃完成。動作確認。ギリギリとなった。ノースランドへ。会場ではすでにビデオ収録の準備が進められていた。点鐘、会長報告、会務報告と撮影が進められ、僕の出番となった。ロータリー情報・記録保存委員会として例会を担当。テーマは「帯広ロータリークラブ会報の謎 ~1952年から現在までの会報より~」というもの。25分間、無事話し終える。帯広信金に立ち寄ってから帰宅。2時間ほど急ぎの仕事を片付ける。4時45分頃出社。釧路からS氏が来社。会社の周年事業に関連した出版の話だった。数年ぶりに一緒に仕事ができそうだ。

帯広ロータリークラブ会報の謎

帯広ロータリークラブの例会がWEB上で行われるというのは過去に例がなかったこと。臨時例会という扱いなので、正式な例会ではないと理解していますが、滅多にできない経験をさせていただきました。
 以前はテレビカメラやビデオカメラに向かって話をするのに、ちょっとした苦手意識を持っていました。昨日はまったくそんなことは感じませんでした。大勢の人に向かって話すのとほとんど変わりはなく、むしろ、自分のペースで進められるなぁ、と思いながら話していました。今、別な会で企画されているZOOMを使った例会も、こんな感じで行われることになるのでしょうか。実際にやってみなければわからないものの、やってみると案外うまくいくような気がします。
 昨日の例会の中身は「会報の歴史」でした。帯広ロータリークラブは今年で創立85年。ですが、会報が最初に発行されたのは1952年のこと。68年前ということになります。問題は会報第1号はいつなのか。ここにちょっとした謎があります。
 初期の会報が収められていたアルバムには「1952年9月24日~」と記載されていました。実物も残っています。「例会だより」と書かれていました。翌1953年からは「週報」となっていて、1月7日例会の号には「週報第1号」と記載されている。どうやら、ここから号を重ねているようなのです。したがって、会報が始まったのは1952年9月24日ですが、第1号は1953年1月7日と考えるべきでしょう。
 こうした謎が会報の歴史の中にはいくつも秘められています。僕がおもしろいと思ったのは、どのように印刷されたものなのかというところ。初期は謄写印刷ですが、後に活版印刷に移行します。その過渡期というのがあって、最初に活版印刷で題字とクラブ名を印刷しておき、記事部分を謄写版で印刷していた時期もありました。
 昨日の例会では話しませんでしたが、オフセット印刷でもそのようなプロセスを踏むことがあります。台紙をあらかじめ特色で印刷しておき、本文の部分はその都度スミで印刷する。今はオンデマンドなので印刷は1回で済ませることができます。正確なところはわかりませんが、帯広ロータリークラブの会報は、これまで5回印刷方式が変わっているはずです。
 昔の会報を複写したり、スキャニングをしていて感じるのは、「どうしてこれほどまでに情熱を傾けていたのだろう」ということ。今はパソコンでデータを作成し、入稿するだけ。それでも大変といえば大変なのですが、昔の会報づくりの比ではありません。謄写版+活版の時代にはイラストに彩色が施されていました。しかも、その絵が並みのうまさではないのです。こんな会報を発行していたのは帯広ロータリクラブだけだったのではなかろうか? 
 会報68年の歴史をたどると、おもしろい事実がたくさん浮かび上がってきそうです。
 同様に、自社の社内報の歴史をたどっていくといくつかの謎が解明されるものです。今は帯広ロータリクラブ会報を「検索可能なPDF」にしようと作業を進めています。これが一段落ついたら、我が社の社内報のPDF化にも着手したいところ。近年のものはPDFになっていると思いますが、アナログな時代のものはまた手つかずのまま。ロータリー同様、新たな発見があるに違いありません。 

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