
おはようございます。
午前9時45分出発。雪。風景は冬に戻っていた。三国峠を通って和寒へ。午後2時から4時半まで取材。マスク姿での取材は2度目。顔にはウイルス防止スプレーを噴霧。取材相手は17年くらい前からの勉強仲間であるS氏。企業経営者として知り合ったが、別な活動についても知っていた。ようやく取材の機会が訪れたという感じ。取材者は同じく勉強仲間のM氏。話は30年以上前にさかのぼり、活動やイベントの全体像が浮かび上がってきた。1冊本が書けそうな内容だった。意味ある活動は続けることで意味が増していき、使命感を持って活動を続けていると、最初のうちには気づかなかった使命に気づくことになる。そんな話であると僕は受け止めた。中身の濃い取材だった。7時半頃帰宅。
30年という重み
世の中には才能豊かな人がたくさんいて、ユニークな活動を始めたり、話題性のあるイベントが行われたりしています。僕らもそうした活動をときどき取材します。僕らの人生はもっと実験的であってよい。そう考えていますから、うまくいくかどうかはともかく、やってみることが重要でしょう。
実験的な自分が存在する一方、自分の中には現状維持的な側面も持ち合わせているものです。「今まで通り大過なく過ごせればよい」という気持ち。誰もがそうした気持ちを持っていると思いますが、革新的、実験的な自分に主導権を握らせることができれば、仕事の仕方はユニークなものとなる。意欲的、情熱的になれるかどうかですね。
そうして、実験的でユニークな活動を開始すると、次にやってくるのは「続けられるかどうか」という問題でしょう。我が社の中にも一度始めてみたものの、うまくいかずにやめてしまったものがたくさんあります。それはそれでよい。やってみることが何より大切。問題なのは、「意味ある活動なのに情熱が続かずにやめてしまう」というような事例。何度か、そうした惜しい事例を見てきました。
意味ある活動は続けなければ意味が弱まる。「ああ、おもしろかったね」で終わってしまうわけです。経済的理由、たとえば「このまま続ければ会社が立ちゆかなくなる」という場合は、苦渋の選択として活動を休止することもある。けれども、ギリギリではあっても経済的バランスを保つことが可能であるならば、意味ある活動は続けなければならない。それは続けることで活動の意味が深まり、自分たちを別な場所へと導いてくれることになるからです。
昨日は30年以上ひとつの活動を続けてきたという話を聴きました。我が社の活動に置き換えて考えてみれば、月刊しゅんは創刊22年、スロウは創刊16年。30年には及びませんが、よく続いていると思っています。
しゅん以前には、もちろん印刷事業の歴史があります。こちらは会社の創業から数えると66年。印刷事業を長く続けてきたからこそ、フリーマガジン事業が根付いたのだと僕は考えています。また、スロウについては、M氏と僕の雑誌づくりの経験が役立っている。続けるからこそ、次のステップにたどり着くわけですね。
過去に何度か「プロになるには最低10年」といった話を書いたことがあります。これは僕の話ではなく、さまざまな人を取材する中で多くの人が証言してきたこと。個人の活動も会社の事業も10年続けるというのは容易なことではありません。一時的にめざましい活動をすることはあっても、長続きさせるのは大変です。10年の間には必ず大きな困難がやってきますし、情熱の衰えを感じることもある。そうした好不調を乗り越えて、「最低30年」(若手の人は「最低10年」)と思えるかどうかが重要でしょう。
もちろん、30年を迎えたら、その先には40年、50年が待っているわけです。ただ、その前に自分の仕事人生の終盤が近づいてきますから、「後継者の育成」という、開始当初とは異なるテーマが重みを増してくることになります。このあたりに本当の意味があるのではなかろうか? 仕事人生最大のチャレンジと言えるのかもしれません。
