
おはようございます。
午前9時、オンライン研修受講前のミーティング。通常であれば個人面談という形をとるのだが、今回は僕も受講生のひとり。3人で情報共有する。その後は原稿執筆。午後1時、M氏が参加する会議があり、ZOOMのセッティングを行う。1時から3時半まで原稿その他作業。4時からは別なプロジェクトの会議。こちらは僕も参加。ある程度、方向性が見えてきた。5時40分終了。
何のために働くか?
昨日はZOOM会議が3本ありました。会社では他にも行われているかもしれません。たぶん、毎日どこかでZOOMが使われている。我が社だけではなく、世界中でそのようになっているはず。そのためか、このところインターネットの速度が遅くなっているような気がします。我が家だけの現象なのだろうか?
新型コロナウイルスによって、自宅にこもって仕事をする人が増えています。昨日の会議でも半分くらいの人は自宅から参加していました。在宅勤務が長く続くと、「仕事って何なのだろう?」という疑問が湧いてこないでしょうか? 僕は8年くらい前から自宅で仕事をする時間が長くなりました。以来、ずっとそんなことを考え続けています。書斎でひとり静かにパソコンに向かっていると、そうした気持ちになりやすいのです。
自分の人生を意味あるものとするために、何か重要な仕事(世の中のためになる仕事)を成し遂げたい。そんな気持ちはずっと持ち続けているわけですが、僕の頭の半分くらいでは「小さな幸せを守りたい」とも思っています。社会の役に立つ仕事を続けながら、できれば人間らしい仕事や生活を営みたい。そうした真っ当な考えで生きています。たぶん、我が社の多くの人も僕の考えと大差ないでしょう。
ところが、現実の世界では真っ当な考えが通用しないことが起こりうるわけです。社会の役に立ちながら人間らしく生きていく。そのように働いてきた人が、今回の新型コロナウイルスによる売上激減や休業要請等によって、家賃すら払えないような状況に陥る。働く意欲があって、健全な価値観を持っている人。そしてそのような人が集まっている企業が、事業を継続しようと思ってもできなくなりそうな瀬戸際に立たされている。
今回のような緊急事態によって社会や経済が総崩れになってしまったら、日本人の持っている(日本人だけではありませんが)仕事観というものが、崩壊することになるのではなかろうか? 崩壊とまでいかなくても、相当傷つくことになるでしょう。各企業、懸命に努力していますが、個々の企業の努力だけではどうにもならない。国や自治体が先例のない手法を駆使して、真っ当な考えの人や会社を救うべきです。
1990年前後、バブル経済の頃、「僕らは家賃のために働いているのではないか?」という疑問を持ったことがありました。ものすごく家賃の負担が重かった。その後、自社ビルを建てると、今度は「借金返済のために働いているのではないか?」という疑問に変わりました。北海道で仕事をするようになると、僕の仕事観はずいぶん人間的なものに変化していったような気がします。それでも、「どうすれば売上・利益が上がるのか?」が頭から離れないというのが正直なところ。
世の中のためになるように一生懸命働いて、幸せな人生を送る。それがどれほど貴重なものであるか、今回のような危機的状況を通じて教えられますね。また同時に、「一生懸命働けば何とかなる」という考えが幻想であることもわかってきます。危機を突破するために、これまでになかった能力を発揮しなければならない。個人としても会社としても、異なる「何か」が必要となる。
そう考えていくと、危機的状況があるからこそ、人も企業も成長できるのではないか……という気持ちになってきます。しかし、危機的状況によってふるい落とされる人や企業をそのままにしてよいはずはありません。新型コロナウイルスがもたらしたものは、健康面と経済面の危機ばかりではなく、仕事観や人生観の危機でもある。ここを死守するために、あらゆる立場の人が持っている力を発揮しなければなりません。