
おはようございます。
東京に来ています。昼間は原稿、商品撮影、来客応対。最終便に乗り、宿に着いたのは夜10時。夜遅くチェックインする人が意外に多くて驚きました。東京で過ごしたのは1985年から2000年までの15年間でしたが、ある意味「印刷生活」でしたね。印刷の辺縁部で僕は生きていた……。そんな感じがします。
複製技術の目指すところ
印刷を中心に物事を考えると、「写真」は辺縁部に位置することになります。しかし、18年前までの僕は「写真」こそ、自分の人生の中心にあると考えていました。今でも写真中心に物事を考えていますし、写真的なものの見方、考え方をしています。ただ、最近よく思うのは、写真というものは広い意味で「印刷」の一部なのではないかということ。この考え方はたぶん多くの写真家には受け入れ難いものでしょう。あくまでも個人的認識に過ぎません。
ただ、写真と印刷との間にはものすごく共通点が多い。うかつにも、僕はこの事実に気づくまで、ずいぶん時間がかかってしまいました。写真を始めた高校生の頃には「家業とはまったく関係ない分野」だと考えていたのです。
小学校から中学校にかけての5年間は新聞づくりに熱中する日々でしたが、高校に入ると自己完結型の活動をしたいと思い、写真に出合うこととなりました。暗室の怪しげな赤い電球(セーフライト)、そして現像液の中で画像が浮かび上がってくる印画紙。僕が熱中する要素は揃っていました。
ただ、高校で写真部というとマイナーな存在だったようで、部室のようなものはありませんでした。暗室も視聴覚準備室という職員室の別室(?)の中にありました。それも2畳ほどの狭い暗室。ここで全紙サイズまで引き伸ばしを行う。荒行といってもよいでしょう。現像、停止、定着液を入れたバット(皿)も、設置できるのは半切サイズまで。印画紙を折り曲げ、半分ずつ液に浸していくというやり方。真剣に「自宅に暗室がほしい」と思うようになりました。
そうして、僕の物質主義者的な欲求がむくむく立ち上がってくることになったのです。さすがに自分の部屋に引き伸ばし機を置くことはできないだろうと考え、まずはフィルム現像の道具を揃えることにしました。現像タンク、ダークバッグ、貯蔵タンク、温度計、攪拌棒、スポンジ……。細々とした道具類がずいぶんある。たぶんめずらしいと思うのは、上皿天秤。僕は単品の薬品を購入し、自分で現像液を調合していました。普通にコダックのD76(現像剤のひとつ)を買うと高いという理由もありましたが、変わった現像液を試してみたいという気持ちも大きかった。D76の改良版であるD96とか、「シュテックラー氏の2浴式現像液」をつくることが多かったと記憶しています。
そんなわけで、自宅でフィルム現像を行うことが多かったわけですが、これも新聞時代と同様、単に自宅に仕事を持ち帰りたかっただけなのかもしれません。
写真はフランスのニセフォール・ニエプスによって、1825年(または1822年)に発明されました。グーテンベルクの活版印刷から370年後のこと。ただ、写真の誕生前にはカメラ・オブスキュラがあり、ピンホール(針穴)またはレンズを通して画像を暗箱に映し出すことができることは、ずっと古くから知られていました。画像を定着させるのに時間を要しただけであって、写真が誕生するのは必然だったと考えるべきでしょう。
このあたり、印刷とまったく同じですね。文字は数千年前からすでに存在していた。型をつくって転写すればよいことも知られていた。ですから、押圧印刷(印章のようなものを粘土に押し当て転写したもの)は3600年くらい前から存在していました。印刷の起源を正確に特定するのは不可能。ただ、印刷の原理も必要性も十分知られていましたから、印刷の誕生もまた必然といってよいわけです。
印刷と写真の最大の共通項。それは原版が必要であることと、大量複製可能であるというところ。付け加えれば、近年のデジタル技術によって「原版がなくても複製できるようになった」というところも一緒。人類は印刷と写真の誕生によって大量複製時代に突入したわけですが、今日は「複製」という感覚を持つことなく、増殖・拡散する時代です。原版や型がなく、勝手に増えていくというすごい時代になってしまいました。
僕が写真に熱中したのは「謄写印刷による新聞づくり」と同じ理由だったと思います。複製可能な技術であったこと。しかも、写真というのは複製を二度行う表現手段なのです。カメラを使って現実の世界を複製し、さらにネガから印画紙に複製する。最初は三次元から二次元へ、次はネガからポジへ。
しかも、ただそのまま複製をつくるだけの作業ではありません。2度複製する中で、写真家の主観がほどよく混じり込むことになるのです。混じり込む主観には2種類あります。ひとつは「意図的、技術的に混じり込ませる」もの。もうひとつは「偶然混じってしまうもの」。僕は最初のうちは前者によって主観表現することを求めて、撮影、プリントを行っていました。しかし、20歳を過ぎた頃でしょうか。「偶然」こそが写真の本質なのではないかと思うようになっていきました。ですから、「偶然を必然的に起こすことが写真家の目指すところ」と考えるようになったのです。
この考えは今もさほど変わっていません。写真に限らず、人生にも企業経営にも当てはまりそうな考え方といえるでしょう。
「今日」は「昨日の複製」のように感じられるかもしれません。けれども、そこに主観が混じり込む。自分のものの見方が健全でユニークなものであれば、好ましい偶然を引き寄せることになり、「昨日と似ているけれども、少し違った新しい今日」になるのではないかと思います。
これは「写真生活」といっても「印刷生活」といってもよいでしょう。複製活動を繰り返しながら、新しい自分を見つけ、新しい世界を切り開いていく。そこが複製技術のおもしろいところではないかと思います。