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仕事観について55 手書きのすごさ

仕事観について55 手書きのすごさ

おはようございます。
 午前中のうちに「北海道 来たるべき未来を見つめて」を完成させようと試みる。98%の地点で昼がやってきた。午後1時20分出社。1時半、来客。帯広ロータリークラブ次年度会報の話。帰宅後、データの微調整と事務的作業。5時、中小企業家同友会とかち支部組織企画委員会に初参加。7時終了。6時開始のセミナーは受講できずに終わる。

ワープロ黎明期

日曜日に書いた原稿を微調整しながら考えていたこと。それは、「手書きで原稿が書ける人はすごいな」という素朴な感想。30数年前にはすごい書き手が大勢いたということになります。
 僕が社会人になった1985年は、ワープロがようやく普及期に入った頃だったと記憶しています。これで原稿を書いているという人はまだまだ少なかった。僕は新しいものが好きなので、手の届きそうな価格のワープロを購入しました。ディスプレイはなんと16字×1行。たったの1行ですよ。このワープロはどんな目的で開発されたのだろう? そして、僕は何を基準にこの製品を選んでしまったのだろう? 今も不思議ですが、これを使って僕は短い原稿を書こうと試みたわけです。
 手書き以上に頭脳を使うことになりました。16字以前の言葉がディスプレイ上から消えていくのです。数秒前に打ち込んだ言葉を頭に浮かべながら、これから書く文章のことを考えねばならない。そして、プリントアウトしてみなければ、意味の通る文章になっているかどうか確認できないのです。
 今考えると、これは「手書き原稿を清書するためのワープロ」だったのでしょう。当時はそうした使い方のほうが多かった。本格的に原稿執筆に使える機種として、間もなく「キャノワード360」が発売されました。なかなかのお値段。M氏は躊躇なく購入。僕はこれを借りて本格的にワープロでの文章作成トレーニングを開始。このワープロのおかげで、僕は少しずつ文章が書けるようになっていきました。
 ワープロやパソコンを使わずに原稿を書く。僕には神業のように思えます。たぶん、手書きで文章が書けるという人には、頭の中に設計図のようなものがあるのでしょう。どういう具合なのかわかりませんが、指定された文字数ピッタリに書き終える。原稿を書き足したり、削除したりという作業を行っている様子がないのです。
 一方、僕のほうはというと、今でも迷走しながら原稿を書いている。書き進めていると、同じようなことを2度書いていることに気づいたり、話のつじつまが合わなくなったりするのです。文字数がピッタリ収まることは極めて稀であり、かなり大幅に字数調整する。これはパソコン(昔ならワープロ)がなければできない作業。機械に助けられながら、何とか仕事ができているという状態です。
 文章作成能力は手書きのライターに比べると数段劣る。何が一番違うのかというと、構成力とかイメージ力といったところでしょうか? ワープロやパソコンがこの世に存在しなければ、修行の仕方によってはこの能力を伸ばすことができたのかもしれません。けれども、僕はより確実に文章が書けるようになる方法を選んだ。当然そうすべきであり、その後、99%くらいの人はこの方法を採用しました。
 10数年遅れて、写真もデジタル化していきます。僕の仕事人生の前半はフィルム写真。デジタルから写真を始めた人からすると、神業のように思えるかもしれません。現像してみるまでわからない。フィルム現像ひとつとっても神秘的であり、偶然にも左右されやすい。
 自分の能力や技術ではコントロールしきれない何か。それを受け入れた上で自己表現する。そこに今の時代にはないおもしろさがあったのではないか?
 もっとも、僕は、頼んでもいないのに文章の誤りを指摘してくれるワープロソフトも決して嫌いではありません。

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