
おはようございます。
差し迫った仕事からいったん解放され(本当はあるのだが)、書斎をさらにきれいにしようと試みる。思い出したように3S活動を行うのが僕の弱点のひとつ。だが、まったくやらないよりはよい。ずいぶんきれいになった。本棚もかなりスッキリした。他に行ったのは大量のPDFデータを「検索可能なデータ」に変換する作業。これは時間がかかるがパソコンが自動的に変換してくれる。3Sと並行して処理することができた。夕方、庭仕事……と言いたいところだが、僕はいくつか花を運んだだけ。あまり役に立たない。6月末とは思えない低温の日が続いている。
求めよ、さらば与えられん
偶然経営などと書いてしまうと、非常に危なっかしい会社ではないかと思われそうです。企業経営は偶然などではなく、科学的に行われなければならない。確かに、僕もそう思います。
その一方で、偶然に恵まれるからこそ、夢のある事業展開となっていったり、魅力的な新商品が誕生するのだと思います。すべて計算尽くでビジネスが成り立っているわけではありません。
よく言われるのは「偶然の出会い」。偶然この人と出会ったため、幸運にもビジネスが軌道に乗るようになった……。そんな話はビジネス誌や伝記等によく出てくるパターンです。人ばかりではなく、何かの拍子で偉大な発明が生まれたり、ビジネスモデルを思いついたりする。
「求めよ、さらば与えられん」ではありませんが、必死に何かを求めているからこそ、幸運な偶然に出合うのでしょう。
このようにも考えられます。僕らはすでに幸運な偶然に出合っている。それも何度も。みんなが出合っているというのに、その偶然に気づかない。それは「求めていない」からなんですね。あるいは、求めていても必死さが足りない。だから、目の前にそれがあるのに気づかない。
そんな残念なパターンを多くの人は何度となく繰り返します。僕も後になってからそのことに気づく。気づいていない偶然との出合いを含めれば、数え切れない回数になるでしょう。
そう考えていくと、一番大事なのは「必死に求めること」と言ってよいのではないでしょうか? 今は新型コロナウイルスによる企業経営へのダメージが一番差し迫った問題です。ほとんどの企業経営者はそのことで悩み、打開策を必死に求めていることでしょう。だから、何%または何10%かの企業は有効な答を見いだすはず。その際、科学的、理性的に見つけ出す企業もあれば、幸運な偶然によって危機を乗り越えるケースも多いのではないかと思います。
我が社の過去のパターンを振り返ってみると、科学的な乗り越え方とは違っているような気がしてなりません。僕が知っているのはここ20年間の我が社ですが、そこには偶然が作用している。幸運な偶然と不運な偶然。それらが複雑に絡み合って、今日に至っています。
科学的に理路整然と企業経営できればよいと思うこともあります。ただ、それは我が社の企業文化にはそぐわないような気がします。理路整然とつくられた「月刊しゅん」や「スロウ」。僕にはイメージできません。
偶然という言葉は「成り行き任せ」ということではなく、チャンスをつかむとか、インスピレーションを得るという意味で僕は使っています。
ソーゴー印刷の社史の中には、数々の不思議な偶然が隠されています。それらをすべて掘り起こして、周年記念誌といった形でまとめることができればよいのですが、僕はほんの一部しか知りません。偶然は今も起こり続けている。今、そしてこれから起こる偶然については、可能な限り記録に留めておきたいと思います。そこに、自社の成長・発展と自己成長・自己実現のヒントがあるような気がするからです。
