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第4話 プリントTシャツ

第4話 プリントTシャツ

おはようございます。
 東京へ行ってきました。桜は満開。井の頭公園を歩きましたが、すごい人出。桜を見ながら昼ご飯でも……というのは甘かったですね。
 それにしても、毎年春がやってくるものです。当たり前かもしれませんが、僕には不思議に思えてなりません。
 出張の目的はソーゴー印刷の用事ではなく、東京時代に営んでいた遊文館という会社に関係したもの。2000年5月まで、僕らは西荻窪に仕事場を持ち、吉祥寺近辺をよく歩いていました。花見といえば、思い浮かぶのは今も井の頭公園です。
 今回の用件は昼前には終了。2時間くらい、僕はただひたすら歩いていました。何かを考えながら歩いていたはず。けれども、歩き疲れたためか、考えはどこかへ行ってしまいました。
 夕方の便で帯広に到着。ひんやりとした空気がやけに心地よい。7時5分、古季庵いろり。Kさんの送別会。

思いがけず踏み込んだ活動

さて、「写真」が印刷生活の一部であるとすれば、東京時代に行っていた僕らのもうひとつの仕事も印刷と位置づけなければなりません。
 それはプリントTシャツ。ちゃんと思い出すことができませんが、たぶん1997年頃から2000年までの4年間くらい、製造・販売していたのではないかと思います。なぜ、そういうことになったのだろう? 今から考えても不思議としかいいようがありません。
 細かい経緯は過去に書いたような気がするので省略します。
 1990年代終わりの頃は、雑誌記事、広告制作と並んで、セレクトショップの経営(3店舗)、プリントTシャツの製造・販売に明け暮れていました。僕は店に立つことはありませんでしたが、プリントTシャツのデザインと製造には本業以上に力を入れていました。
 僕らのつくっていたプリントTシャツは、大半が熱転写プリントによるものでした。たまにシルクスクリーンのプリントをする程度。シルクスクリーンは版をつくる必要があり、ある程度量産しなければなりません。アイテム数を増やすには熱転写のほうが好都合だったのです。
 デザインを担当するスタッフは僕を含め3名。ものすごい数のデザインをつくり出していきました。問題はこれをどのように出力し、転写していくか? 技術面ではずいぶん苦労しました。今考えるとずいぶん初歩的なことで悩み続けていたような気がします。
 やり方は単純で、デザインデータを熱転写シートにカラーコピー(またはレーザープリンタ)に出力し、プレス機を使ってTシャツに転写するだけ。そのためにカラーレーザープリンタを購入したのですが、転写シートがプリンタの熱にやられて、何度もストップしてしまう。吉祥寺に転写シート製造元の営業所があったので、そこで出力してもらうこともありました。
 無事転写シートができると、これをプレス機でTシャツに転写していきます。本格的なプレス機を2台購入し、最盛期にはフル稼働していました。1枚400円ほどの白Tシャツにプリントし、店では2900円、または3800円で販売。全国各地の店にも卸売りを行っていました。結構なビジネスのようにも思えますが、やればやるほど違和感が湧いてきて、「こんなことをしていてよいのだろうか?」と思うようになっていきました。

今思えば、それは僕の考える「印刷生活」から外れた活動だったからなのでしょう。プリントTシャツは、趣味的に行うぶんにはおもしろいものですが、僕にとっては本業とはなり得ないものでした。僕がもしデザイナーだったら、もっと熱中していたかもしれません。僕個人にはデザインでメッセージを伝えようという気持ちはなく、やはり写真または文章で何かを伝えたいと思っている人間なのです。
 ただ、プリントTシャツを真剣にやりたいという人が社内にいたなら、僕は応援したいという気持ちがありますね。20年前に比べると、技術的にもずいぶん整ってきています。
 熱転写プリントの弱点は、洗濯堅牢度にありました。何度か選択するうちに、色が薄くなったり(淡色用)、ひび割れてきたり(濃色用)するのです。何種類か試してみたものの、これで完璧というものはありません。
 今はインクジェットでTシャツに直接プリントできるプリンタもあるようです。これが20年前にあったら、僕らのビジネスもずいぶん違ったものになったかもしれません。ただ、技術が進んだ分、今のほうが競争が激しいでしょうね。それに価格もずいぶん安くなりました。

僕らのつくっていたプリントTシャツは、「Play Made Factory Tシャツハンドブック2000」という本にまとめ、僕が帯広にUターンした年に全国出版されました。「印刷会社にいると、こんなこともできるんだ……」。そう実感することになった最初の活動でした。
 1990年代後半は、経営指針も何もなく、ただ思いつくまま活動領域を広げ、何度も危ない橋を渡る……。そんな仕事の仕方をしてきました。体力に任せて超長時間労働を続けたものの、大半は人件費とテナント代、広告宣伝費等に消えていった。地道に事業領域を「雑誌・広告制作業」だけに絞っていたら、どんな人生になっていたのだろう? そう考えることもあります。
 印刷というものを広義で捉えると、ものすごく範囲が広くなってしまいます。それゆえに、自分のライフワークのテーマを絞り込まねば、ピントはずれな活動が増え、貴重な時間が失われてしまう。プリントTシャツに明け暮れた数年間は、僕にとってどんな意味があったのか考えてしまいます。
 印刷生活の本道に戻るための準備期間だったのかもしれない。そう解釈することもできますが、本当のところは何ともいえません。
 僕らは「今」という時間を生きているわけですが、「今」の意味がちゃんとわかるようになるには、10年単位の時間が必要なのではないかと思います。僕は20年前の「今」の意味もまだよくわかっていない。印刷の謎というより、人生の謎についての話になってしまいました。

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