
おはようございます。
午前中は二次面接の準備、大量の写真のPDF化、工務会議の準備等。午後1時半から二次面接。ZOOMではあっても考えは伝わるもの。伝える手段よりも、伝えるべき考えがあるかどうか。そこが重要だ。3時45分までに3名の二次面接を終える。4時半、工務会議。この名称、変えたいなぁ。もっとクリエティブなネーミングにしたいものだ。夜、ひと仕事したら11時なってしまった。
意志があれば
僕は何でもかんでも「偶然」に結びつけて考える癖があるようです。しかし、よく考えてみると偶然とは言えないものがけっこう多い。そんな気がします。
偶然でないものは何といえばよいのか? それは必然というべきケースもありますし、自然と呼ぶべきかもしれません。インパクトがあって、なおかつ偶然とは呼べないものは「必然」。気がついたら、こうなっていたというものは「自然」。そんな区別の仕方でしょうか?
僕は自然がけっこう好きですね。知らず知らずのうちにこのようになっていた。それは消極的、受け身的に思われるかもしれませんが、そうではないのです。意志を持って生きていると、自然に状況が変わっていく。数年たつと、環境が変化していることに気づく。そういうことがあるのです。逆に、意志が弱いと周囲の環境に影響されて、安易な方向へ流されてしまう。
よくよく考えてみると恐いことなのですが、意志を持って日々主体的に意思決定しながら生きていけば、受け身的な生き方よりもはるかに自分の望んでいる生き方になるはず。人生は思い通りにはならないことが多いものですが、ある程度は自分の望む方向へ変えることができる。
「自然にこうなった」というものの中で多くの人が感じているのは、「体力の衰えによってこうなった」というものでしょう。
20代、30代の頃は1日16時間くらい働いても何でもなかった(今では許されない働き方ですが)。力尽くで仕事をしていた頃がありました。40代になると、体が持たない。したがって、仕事の質を高めねばならないということになります。高度な技術を身につけたり、管理職になっていくことで付加価値を高めていく。それが「自然」ではないかと思います。
40代と50代との間にも大きな違いがあることに僕は気づきました。講演や実践報告をする機会が増えていったのですが、40代の頃は手元の資料が「よく見えていた」のですね。だから、講演内容を入念に作り込んで演台に上ることが多かった。しかし、50代に突入してから、それができなくなったのです。
老眼というものは、人に新たな成長をもたらせてくれるものだ。そう気づきました。近くのものが見えないというのは、何とも不自由なものです。僕はもともと近視なのでメガネをかけると近くが見えない。裸眼だと遠くが見えないということになります。
そうすると、どうなったのか? 手元の資料を見ずに話すという講演の仕方に変わりました。今の時代はパワーポイントを使いますから、話の流れから外れていくことはありません。しかし、話の細部については会場の雰囲気を見ながら変えるようになりました。どちらかというと、このような話し方のほうが自然に感じられます。老眼になったおかげで、自然に話し方に変化がもたらされたのです。
写真の撮り方もずいぶん変わりました。50代に入った頃から、厳密なフレーミングができなくなった。僕は1ミリたりともトリミングされたくない……といった写真の撮り方をしていましたが、やや隙のある写真に変わっていきました。当然、写真としての完成度は低下することになります。しかし、隙がある分、何か別なものが写り込んでいるような気がするのです。
今年2月、白内障手術でメガネ不要となりました。これを機に、僕の講演の仕方、写真の撮り方も変わっていくことでしょう。すでに、原稿の書き方が変わりつつあることを実感しています。
自然、偶然、ときどき必然。この3つが複雑に絡み合って人生が彩られていくのではないかと思います。
