
おはようございます。
午前9時半、S氏とミーティング。午後1時15分出社。1時半、来客。ZOOMでは2度会っているが、直接会うのは初めて。オンラインでのビジネスが盛んになると、このようなパターンが増えていくに違いない。社内とデジタルラボのあるクナウハウスを案内する。我が社の1階と2階は大きく変わっていた。昨日の発見は工場内がずいぶんスッキリしていたことだった。この状態でポルフ(工場革新のための実践的プログラム)を始めたら、すんなり軌道に乗りそうな気がする。旭川から来社したIさんからは各種資料をいただいた。我が社のビジネスのヒントとなりそうなものもあった。帰宅後、ビデオの制作。まだ完成度は低い。だが、メッセージが伝わればよいと考えるべきか? 何本か作れば、精度は高まっていくに違いない。
読み手にとっての価値
工場には製本し終わったばかりのスロウ64号が積み重ねられていました。新型コロナウイルスの影響により、社内で取材制限をかけていた時期に制作された号。巻頭特集は「手紙に添えて」。直接取材に行くことができないため、手紙でやりとりするという苦肉の策。これに過去の取材分、近場の取材記事を加えて、一冊にまとめ上げられています。ある意味、非常に感慨深い号になったのではないかと思います。
僕は僕で、リハビリと言うべきでしょうか、再び自分の執筆スタイルを取り戻すべく、力を入れて書いた記事がありました。僕としては渾身の作。読んでもらえればすぐにわかるでしょう。さまざまな個性を持つ人が集まって、一冊の雑誌ができあがる。自分の持ち味をどれだけそのまま表現できるのか? そのあたりを重視しているのがスロウ。
僕としては、表面的にきれいにまとめ上げた記事よりも、書き手の思考が原液のままあふれだしているような記事のほうが望ましいと思っています。この点、考え方は人それぞれあるようです。いろいろあるほうが本としてはバランスがとれるに違いありません。
僕の記憶では、今回の特集は新入社員のY氏のひと言から始まりました。研修期間に行われたスロウ編集会議の場で、Y氏が「手紙」というキーワードを口にした。そこから発想が広がり、64号の特集テーマになったはず。Y氏はその後、しゅん編集部に配属が決まりました。しかし、初仕事はスロウ64号のテーマ決め、と言ってよいのかもしれません。
何気ないひと言も、熟考を重ねて絞り出したひと言も、同じ土俵の上で比較検討され、特集テーマが決まっていきます。また、ひとつひとつの記事についても、さらりとまとめたものもあれば、構想○年というものもある。僕の場合は、4年くらいのブランクを経て復活させた執筆スタイルでした。
渾身の作であっても、片手でチョチョイと書き上げた記事(パソコンでは両手を使いますが)であっても、読み手にとっての価値という点では関係ありません。ここが恐ろしいところ。
同じようなことを1980年頃から考えていました。大型カメラで最高の技術を駆使して撮った作品と、コンパクトカメラでパチパチ撮った写真。どちらに価値を感じるかは写真家ではなく、鑑賞者が決めること(念のため補足しますが、僕は技術崇拝者というわけではありません)。表現者は鑑賞者と常に真剣勝負なのだと思います。そして、80年代当時、考え抜いたあげくたどり着いた結論は、「表現者と鑑賞者は対等なのだ」というものでした。
自分のすべてを写真に表そうとする。今ならひとつの記事に自分を埋め込もうとするわけです。鑑賞者や読者は、やはり自分の思想、哲学、人生経験と照合しながら、作品や記事と対峙する。読者の中にはものすごく深いレベルで読み込んでくれている人がいます。たまに、自分でも気づかなかったところを指摘されることがあります。深めれば深めるほど、人生を深く掘り進んでいる人との出会いがある。
ひとつの記事は偶然の出会い、偶然の発見から作られることが多い。しかし、偶然の質や方向性を決めているのは自分自身なんですね。我が社としても、ビジネス、人生、文化、地域振興等、さまざまなジャンルで深掘りする仲間を求めています。
