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偶然経営仮説19 ストーリー性と一貫性

偶然経営仮説19 ストーリー性と一貫性

おはようございます。
 午前9時出発。日高山脈を越えるのは久々だと思う。M氏とともに石狩へ。昼過ぎ到着。市内でプレ取材。思ったよりも収穫があったようだ。3時から本取材。雨が降っているため、人物撮影以外することがない。おかげで話をじっくり聴くことができた。非常におもしろい。と同時に、あれこれ考えさせられる話だった。雨はやむ気配がなく、ビニールハウスを直撃する雨の音で、ICレコーダーはほとんど機能していないのではないかと思った。5時頃取材終了。8時過ぎ帰宅。

意思決定の要素

僕が写真力と経営力を結びつけて考えているように、一見つながりがなさそうな職種であっても、その人の頭の中では深く強く関係しているようなケースがあるものです。人生は壮大なストーリーですから、その中には意外性のあるストーリーが少なくありません。必然性があったり、意味が感じられればよいのではないかと思います。
 昨日の取材では、「なるほど、このようにつながっているのか」と気づかされるような話を聴くことができました。おもしろいと感じるポイントはいくつもありましたが、僕が一番感じたのはストーリー性と一貫性でした。
 個人はもちろんのこと、企業にもストーリーがあります。社歴の長い企業の場合は、ストーリーがわからなくなっていることがある。我が社も創業期のあたりがよくわかってない。ですが、この謎はいずれ解明されることになるでしょう。70周年記念誌プロジェクトが立ち上がったら、僕も本腰を入れて資料を発掘と分析を行おうと思います。
 個人の人生もそうですが、企業も偶然と思える出来事や事件を無数に経験しながら、ある方向へ導かれていくものです。導かれていくというよりも、その企業の経営者やキーパーソンによって無数の意思決定が行われ、ある方向へと進んでいく。出来事の表面だけに気をとられると、偶然としか思えないかもしれません。しかし、そこには誰かの意思決定や決断が働いている。
 改めて、我が社の年表を見ていくと、すべての出来事の背景に意思決定があることがわかります。決断という言葉の通り、何かを決めて、何かを断っている。誰が、何を、どのような考えに基づいて決断したのか? このあたりが気になりますね。
 「誰が」という場合、2000年以前の我が社であれば、その多くは「社長が」ということになるでしょう。2001年以降の我が社は組織内が以前よりも複雑になっています(もしかすると昔から複雑だったのかもしれません)。2001年以降は、意思決定者が複数いて、微妙なバランスと緊張感によって会社の方向性が定められていった。僕はそのように認識しています。
 企業としての意思決定のプロセスをもっと明確にしなければならない……。昨日の昼頃にはそのようなことも考えていました。「何となく決まっていた」というのが一番危険なことです。5W1Hでいえば、「誰が(Who)」と「なぜ(Why)」が重要ですね。
 今年はコロナ危機の年ですから、意思決定に対して慎重さと大胆さが求められます。スピードも求められるわけですが、拙速な決め方であってはならない。そこで、意思決定者は「どのような考えに基づいて決めるのか」という基準を持っていなければなりません。「なぜ」の根拠となるような基本的考え方、思想、哲学。ここが弱いと、その時代の流行り物に飛びついたり、自社の経営理念から逸れていったりすることがあるものです。
 自社としての大きな意思決定ほど、ストーリー性と一貫性が求められると僕は考えています。言い回しは違っていましたが、20年前、創業者から僕はそのことを鋭く指摘されたことがありました。考えてみると、さらにその20年前(21年前だったかな?)にも同じような指摘を受けたことがありました。20年周期説でいくと、今年か来年、大きな意思決定をするタイミングがやってきそうな気がします。

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