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活動記録52 2004年頃の取材

活動記録52 2004年頃の取材

おはようございます。
 朝6時45分出発。10時石狩着。石狩取材が続いているが、先週とは別件。素晴らしい作品の数々。精緻な表現。しかも、僕には及びもつかない観察眼。作品も話も驚きの連続。12時50分、取材終了。次の取材は1時から。ちょうど車で10分くらいの距離。訪れるのは2度目だが、今回は取材。M氏はじっくり腰を落ち着けての取材。僕はあちこち歩いて撮影。真夏の天候。たぶん30度を超えていたはず。動画とスチルをと撮り回る。こちらの取材も3時間近くに及んだ。4時、この日の取材が終了した。7時半、帰宅。

異常さから生まれてくるもの

マスクをしていることを除けば、ほぼコロナ前の取材の仕方に戻りました。もちろん、手洗い、消毒、うがい等も万全。車に常備している消毒液もずいぶん減りが早いように感じます。スロウの取材では密集地へ行くことはほぼありませんから、リスクとしては低いはず。それでもお互いの安全のためにも注意を怠るわけにはいきません。コロナが収束するまで用心深く行動しましょう。本当に収束する日がやってくるのだろうか? 長く続くと、そんな気持ちにさせられますね。
 今年は新型コロナウイルスによる異常な状況下にあります。したがって、世界中が異常な状態。こんなことは100年に一度、あるいは数100年に一度かもしれません。
 ただ、考えてみると自分や自分のまわりが異常だったという経験は、人生の中で何度かあるものです。まあ、コロナ級の異常は人生に2、3度かもしれません。しかし、中小規模の異常はときどき起こるもの。
 僕は中規模の異常な状況として、2004年のことを思い出していました。スロウを創刊した年。創刊日は2004年5月25日なのですが、今確かめてみたら5月1日に取材した記事がある。これは今のスロウの取材スケジュールと照らし合わせれば、異常なほど遅い。とっくに入稿されていて、校了・下版という時期なのです。
 創刊号はすべてが初めてでしたから、何事も計画通りには進まなかったのだと思います。思いつくまま行動するようなこともあったに違いない。
 当時の異常さを伝えるエピソードとしては、4月23~26日の4日間の取材が挙げられるでしょう。すでに、4月下旬の取材という時点で、ギリギリの状態であることがわかります。異常なのは、その移動の仕方。
 僕の記録では4月23日、浜中へ日帰り取材。24日、瀬棚で取材し、瀬棚の民宿に1泊。25日は共和で取材。深夜、帯広に戻る。そして、2時間くらい眠って、26日朝3時過ぎ、別海を目指して車を走らせる。取材は8時頃から。編集者も若かったが、僕も若かったと言うべきでしょうか。別海日帰りはもちろん可能ですが、前日までの行動を考えると、異常な動き方といえます。無謀かつ危険。今なら当然禁止です。
 ここ数年、そのような取材の仕方をする人はひとりもいないはず。今は事前に出張申請書が提出されるようになりましたから、異常なスケジュールは皆無と考えてよいでしょう。創刊期の差し迫った状況の中では、異常な行動をせざるを得なかったわけです。創刊号の異常な取材の仕方は、その後もしばらく続くこととなりました。朝3時出発は当たり前で、確か1時半か2時出発というのもあったはず。スケジュールは編集者が決めることなので僕はただ従うのみ。今の時代では決して許されない異常な働き方がスロウの基礎をつくった。別な見方もできますが、僕はそんなふうに捉えています。
 今の我が社では働き方改革が進んでいますし、今年はコロナ禍によって別次元の働き方になっています。したがって、16年前とはまったく異なる異常な環境の中で取材、制作活動が行われている。異常な環境というのは、時としてまったく新しいものが創造される可能性を秘めています。
 異常というチャンスを生かさねばなりません。今の状況の中で従来通りのものを作ろうとすると、ものすごくつまらないものになるでしょう。異常さに乗じて、まったく新しいものを生み出す。今の僕らにはそんな気概が求められますね。 

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