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仕事観について60 20年ぶりの意識改革

仕事観について60 20年ぶりの意識改革

おはようございます。
 めずらしく寝苦しい夜だった。高温多湿。一年のうちほんのわずか、帯広にもこういう時期がある。目が覚めると全身筋肉痛。筋肉を使うようなことはしていないのだが、1週間分の筋肉痛がまとめてやってきたようだった。この時点で、完全休養日にしようと判断。この日行ったのは、買物、梅とラディッシュの収穫、ゴーヤチャンプルなどの料理。頭を使う作業は行わず、できるだけ体も動かさないようにした。

コロナ禍で自社を変えるには

気づくと8月になっていました。この7ヶ月間、僕は何をしてきたのだろう? 新型コロナウイルスが深刻な状況にあると認識したのは2月。つまり、この半年間は毎日コロナ問題について考えていることになる。コロナ危機に直面し、自分も自社も変わらねばと思い続けています。多くの人、とりわけ企業経営者はそう考えているでしょう。すでに変わった人、変わろうと努力している人、考えるだけで変わっていない人……さまざまですね。
 我が社は「変わった」とは言えませんが、一部では変化しつつあります。何人かの人は働き方が変わりました。また、我が社に変化をもたらしそうな新部署が誕生しました。これから、会社全体、あるいは我が社の社員全体が変わっていくことになるのかどうか? 変わらなければ、明日の我が社はない。そんな覚悟で取り組んでいかねばなりません。このあたり、20年前の我が社とまったく同じ状況ですね。
 20年前には「意識改革」という言葉をよく使っていたような気がします。と言っても、他人の意識をそう簡単に変えることはできません。まずは自分の意識改革です。実際、僕の意識は変わりました。意識が変わったためか、その後、僕の写真も文章も以前とは異なるものとなりました。僕にとって大きな転機であり、僕の人生にとってはこれでよかった。ある意味、救われたと言ってよいかもしれません。
 僕は当時の幹部の人たちにも意識改革を求めました。ただ、みんな長い年月の中で築き上げてきた価値観がありますから、そう簡単に変わるものではありません。また、譲ることのできないものもある。だから、僕が求めていたのは自分の中の一部分の変化だけ。それすら譲れないという人は、結局我が社から離れていくことになりました。
 これは致し方のないことだと思っています。経営指針や経営方針を明確にすれば、それに合わない人は「一緒にやっていけない」ということになる。だから、古い体質の会社が経営指針成文化に取り組むと、一時的に離職者が増えるというケースが起こりうる。しかし、これによって会社全体の意識改革が進んでいきます。同じ仲間でいっせいに意識改革できればそれがベストなのですが、実際にそのようにはなりません。会社が変わると同時に、メンバーも替わることが多いのが現実。
 ただ、今はコロナ禍という特殊な状況にあります。今後、就職、転職が困難な経済環境になっていく。今我が社に在籍している人たちと一緒に意識改革できないものだろうか? そんなふうに僕は考えています。20年前と今とでは我が社の社風もずいぶん変わりました。まだまだ我が社には困った部分もあるのですが、20年前よりも状況はよい。変わるきっかけがあれば、大きく変わることができるのではないかと思っています。
 何をどのように変えていきたいのか。そこをまず取締役と次世代経営会議メンバーの間で認識を共有する必要がありそうです。目指すべきところは「業績向上」と「働きやすい職場環境」。この2つを実現させるために、何をどう変えるのか?
 「7つの習慣」(スティーブン・R・コヴィー著)の中に「すべてのものは二度つくられる」という言葉があります。知的創造と物的創造。頭の中で知的創造を行うには、知性や感性を磨かねばなりません。固定観念に縛られた状態で創造力を発揮することはできません。知的創造ができるような意識の変革が求められます。これを誰もが受け入れられるようなソフトな形で進めていこうと考えているところです。

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