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第6話 リソグラフ

第6話 リソグラフ

おはようございます。
 4月2日月曜日。我が社にとっては、今日から下半期が始まります。そして、入社式の日でもある。新入社員の人たちの期待に応える会社にしなければ……。そんな気持ちを新たにする4月。今年は2月から新入社員研修が始まっているため、例年とはちょっと違う。不思議な感覚で今朝を迎えました。

孔版印刷の明と暗

僕がソーゴー印刷に入社した18年前、「自分にも使える」と思った印刷機が1台ありました。印刷会社の人たちには「印刷機」だという認識はないでしょうが、当時リソグラフが社内にあったのです。
 理想科学工業の簡易印刷機。1973年から販売されており、今でもデジタル印刷機として広く使われている。見た目はコピー機そっくりですが、印刷方式としては孔版印刷。孔(あな)からインキを押し出して印刷するもの。ガリ版、鉄筆は使いませんが、謄写印刷と原理は同じです。
 当時我が社にあったリソグラフはパソコンとはつながれておらず、原稿をガラス面にセットして、コピー機のように読み込むものでした。そうすると、リソグラフは何やらうめき声のような音を発し、版を作成します。本体内で何が行われているのか、外から見ることはできません。版をローラーに巻き付ける音がうめき声のように聞こえるのでしょう。
 それから、想像以上のハイスピードで印刷が始まります。最新機種だと1分間に190枚。18年前はもっと遅かったと思いますが、僕には十分すぎるスピードでした。コピー機との違いは、スピードだけではありません。ランニングコストが安いというメリットもありました。確か、当時のCMに「5枚以上はリソグラフ」といったフレーズがあったはず。

これを使って、僕は社内報をつくるようになりました。我が社にはもともと社内報がありましたが、僕の入社当時、それが途絶えていたんですね。
 社内報というものは売上につながるものではありません。「社内報を出そう」という強い気持ちを持った人がいなければ、まず発行されることはないでしょう。通常は、社長が社内報の必要性を感じ、制作チームを編成することになります。しかし、当時の僕は社員のみんなをどう動かしたらよいのかわかりませんでした。なぜ社内報が必要なのか、納得してもらうだけの論拠に乏しかったのです。結局、最初は自分ひとりでつくってしまいました。2002年のことだったと思います。
 その後、社風改善委員会(後のコア・コンピタンス委員会)が社内報発行を担当するようになったのですが、そこでも度々発行が滞ることにありました。数ヵ月に一度、散発的に発行される……。毎月、当たり前のようにつくられるようになったのは、たぶんオンデマンド印刷機が導入されてからのことだったと思います。
 僕がリソグラフで発行した社内報は2号か3号だけとなりましたが、それでもその後につながる媒体となりました。僕がリソグラフを使ったのはごく短期間。それでも印象としては強いものがありました。何より、僕が慣れ親しんだ謄写版と同じ孔版印刷。単純に、親しみを持っていたからかもしれません。
 我が社にあったリソグラフは、同じ理想科学工業のオルフィスが導入されることとなり、引退していきました。オルフィスはインクジェット。リソグラフとはまったく異なる印刷方式でしたが、なぜか我が社の一部の社員は今でもオルフィスのことを「リソ」と呼んでいます。リソグラフに愛着心があるためか、単に理想科学の「リソ」なのか、僕にはわかりません。
 ただ、リソグラフもオルフィスも、紙詰まりを起こすと面倒なことになるという点では一緒ですね。
 オルフィスはインクジェットですから、シャバシャバの「インク」。リソグラフは孔版印刷なのでヌルヌルの「インキ」です。リソグラフではインキで手がベタベタになったのを覚えています。印刷物としてみれば、インキがしっかり乗っているという点でリソグラフのほうが僕は好きでしたね。今でも。

謄写版を源流とする孔版印刷は印刷業界の主流とはなり得ませんでしたが、今でも脈々と受け継がれています。謄写版のほうは、電源不要な印刷機として、今でも発展途上国を中心に使われているようです。
 最初は謄写印刷(ガリ版)として、1970年代からは、プリントゴッコ(個人向け小型印刷機)とリソグラフ(オフィス向け簡易印刷機)として発展した孔版印刷。僕も中学時代、堀井謄写堂の謄写版原紙を使っていました。僕が写真中心の生活をするようになってから、いつの間にか孔版印刷の主役は堀井謄写堂から理想科学工業に移行していました。
 いかにすぐれた印刷方式であったとしても、進化しなければ生き残ることはできません。堀井謄写堂は残念ながら2002年に倒産。一方、機械化、デジタル化で発展した理想科学工業は、インクジェット方式でもすぐれた製品を開発し、発展しています。
 この事実から、僕らは学ばねばなりませんね。謄写印刷は僕にとってはノスタルジーな気持ちにさせるものですが、ビジネスとして考えるならば、常に新しいもの、新しいやり方を追いかけていかねばなりません。
 印刷生活はこれからもずっと続いていくと僕は信じています。けれども、印刷のあり方、印刷ビジネスのやり方は最新のものであるべき。世の中の流行り廃りを過度に気にする必要はないでしょうが、創意工夫を重ね、自社のビジネスが古びていかぬよう気を配ることが大切だと思います。
 変えてはならないものを守るために、常に自分・自社は変わり続けなければならない。不易流行という考えを持つことが経営者にも社員にも求められます。
 新入社員にとってはきっと激変の一年となることでしょう。特に新社会人にとっては人生の大きな節目といえます。「変わる」ことを恐れず、変化を楽しむくらいのおおらかな気持ちを持つべきです。2年目以降も変わり続けることのできる人が、充実した仕事人生を手にすることとなります。

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