
おはようございます。
朝は原稿を1本書き上げる。ブログは後回し。午前10時、帯広市郊外で取材。何度も来ているが、久しぶりのような気がする。午前中から気温が高い。冷房の効いた場所でインタビュー。編集者はI氏。撮影は外で行うことにしたため、僕もソファーに座りながら聴いていた。取材後半は撮影数カット。その後、試食。初めて食べる味。希少であるばかりではなく、それは確かに素晴らしい味だった。一定のペースで慎重に味わう。一通りの取材が終わったのは午後1時頃。帰宅後、軽めの昼食。ブログを書いてから、写真セレクト作業。編集者らに渡さねばならない写真がたまっていた。眼精疲労を感じたところで作業終了。
やる気のある人とほどほどの人
昨日は一応出勤日となっていました。この日、有給休暇を取得した人は9連休。休める人は休んだらいい。そう思っているのですが、I氏に聞いたところ1/3くらいの人が出勤しているとのこと。在宅で働く人もいたのだろうか? まあ、9連休といっても道外へ旅行できるわけではありませんから(当社のルールでは)、休みを持て余してしまうのかもしれません。
ここ10数年の動きを見ていると、会社の時代から個人の時代へと着実に変化してきています。その変化は働き方改革で弾みがつき、今年のコロナ危機でさらに加速することとなった。個人と企業との関係は、緊張感のある対等な関係になっていくのではなかろうか? 企業は組織のあり方について考え直すべき時期に来ている。そんなふうに感じています。
この変化は、やる気のある人にとっては好ましい環境変化といえるでしょう。一方、「ほどほどがいい」と思っている人にとっては厳しい環境となるかもしれません。やる気のある人、ほどほどの人、やる気のない人。三者の差が広がっていくことになる。それを食い止めるのが企業(とりわけ地域企業)の役割なのですが、格差拡大は避けられないのではなかろうか?
「やる気がない」というのは論外として、「ほどほどの人」をどれほど「やる気のある人」に近づけるのか? ここが企業にとって最大の課題だと言えるでしょう。「ほどほどの人」をもう少しだけやる気にさせることも重要ですし、ほどほどという意識レベルのまま、付加価値を高める必要もあるのではないか?
「ほどほどの人」というのは、仕事に対してほどほどなのであって、人生に対してというわけではありません。やる気の対象が家族、趣味、スポーツ、ボランティアだったりするのです。やる気になる対象を持っている人は、仕事がほどほどであっても、自社に貢献する可能性がある。ただし、自社に対してエンゲージメントを持っていることが条件となりますが……。
このお盆休みの期間中、「思わず仕事をやってしまう」という人もいることでしょう。これは誰にも止められません。みんな休んでいますから、チェックのしようもありません。また、具体的に働かなくても、頭の中で絶えず仕事のことを考えているという人もいるはずです。「考えるな」と指示するわけにはいきません。やる気のある人を止めることはできないし、止める必要もありません。
杓子定規に働き方改革を当てはめようとすると、現実と乖離してきますし、個人にとっても会社にとっても好ましい結果は生み出さない。みんな地下に潜って働くようになるでしょう。
これは個人の時代がすでにやってきているという証拠だと思うのです。労働三法、働き方改革関連法、自社の就業規則といったものは当然尊重されるべきもの。ですが、働く人を守るこうした法律や規則を本人が望んでいないケースもある。より主体的、自立的に働きたいと考える人は、会社員であっても経営者的になっていき、組織との関係はより対等なものとなる。自分の働き方は自分で決める。そのような時代がすぐ近くにまでやってきています。
個人の時代における企業のあり方。僕は「成長機会の提供」「魅力ある商品」「働く環境づくり」の3つがポイントではないかと考えています。組織は人を縛るものではなく、つなぎ合わせるもの。つながっていたいと思わせるような魅力がなければ、企業は長続きしないのではないか。そろそろ、来期の経営指針づくりを始める時期がやってきました。
